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浮草のkoyamaxのレビュー・感想・評価

浮草(1959年製作の映画)
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終わりゆく何か。予定調和と虚無。
諦念の先に残る何か。

「予定調和」という意味を改めて考えたくなる笑

旅芸人一座の悲喜交々。。。


小津にわかから観る「静かなイメージ」を大きく覆す、
割と感情の起伏が激しい映画でしたね。

京マチ子と中村鴈治郎の決闘のような。大雨の中の罵り合いなど、
各人の感情が渦巻きすぎる、かなり濃い目の味わいに
その日は眠れなくなりました笑


赤、緑 黒を基調としているシーンも
小津のイメージを覆されてめちゃ渋でした。

そもそも劇展開が本題に入る前の情景描写からして
フレームの構図が決まりすぎてて戦慄します笑


展開上はまあ、あらすじ通りですが(雑


観ている間、何に泣けるというのがわからないのですけど、

何か泣けるんですね。

ここがすごいところです。


大事なセリフを都度都度語るものの、
そこが本筋ではなく、
本質はそこにいる空間、各人の距離ですでに語られているところがかっこいいです。



中村鴈治郎扮する旅芸人の座長が息子に会いたい気持ち。
杉村春子が静かな佇まいで存在し続ける気持ち。
若尾文子、川口浩、仕組まれた偶然からの必然で心動かされる気持ち。
京マチ子姐さんの深く激しい嫉妬の気持ち笑

という壮大な下拵えがあるわけですが、


結論の描写で観ることになる「心」は実は最初からある。
観ている。
ということに気付かされるんですね。
改めてそうだな。提示されるのですが、
そこに意外性はないのです。


その心が徐々にあらわになっていく。というところ。
心があるべきところに戻る。
皆が進むべきところへ進む。
抗っているものを諦める。
憧れたものを諦める。

流れに従うことを自覚する瞬間に立ち会うだけで、
泣けるというか。

もののあはれというべきでしょうかね。

「予定調和」はどちらかというとネガティブな意味ですが、
こんな生き方しかできないと自覚せざるを得ない男心の「予定調和」な過程と抗えない結末にひたすら揺さぶられました。


そもそも若尾文子を観る一環で観ているのですが、
他作品でも何百回も組んでいるようにさえ思える(言い過ぎ)
川口浩と若尾文子の若き二人の組み合わせ。
組み合わせの多さは大映組レギュラーゆえなのでしょうが、、
何度も転生している二人のマルチバース感があるなかで他作品に較べて斜に構えない純粋さがあります。
それはそれで様々なドラマを感じ取れるので、ここもまたいつにも増してよりエロい。
もとい、エモいです。
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