「大人になると、心が死ぬの」
こんなふうにさ、泣きながら、「死んじまえ!クソが!」って悪態つきながら、なにかを話すのって、とっても素敵なことだよね。
わたしはこういうことを意識して、すごく頑張らないとできないから正直なところ、みんなのことがうらやましかったです。
だって、そうでしょう。これって、自分のことをさらけだすってことでしょう。
サリンジャーが描く主人公みたいにプライドが高くて、相手を見透かした気になってバカにしてわらってるようなわたしには、とても難しいことなんだよ。
土曜日の補習に集まった5人の生徒。
「自分とはなにか?」について作文を書くことになる・・・。
お父さんの期待に応えたい、そのためにわざとワルを装った。そうすればきっとお父さんは喜んでくれるはず。
生まれてはじめて赤点を取った、それはぼくもイヤだし両親は許してくれないだろう。だからぼくはあるものをロッカーに隠し持っていた。
家族について、プレッシャーについて、ともだちについて。
「ばかにしないでくれよ」と笑いながら、仲間の話に涙しながら、悩みを共有していく。
「つぎの月曜日に会ったら、ぼくらは今日みたいに挨拶を交わすだろうか。それとも無視するのかな。」
わたしね、いつも迷ってたよ。
たまたま隣の席になった子と、少ししゃべって少し盛り上がる。
だけど次の日、目が合ったら挨拶をするのがいいのだろうかどうなんだろう、ってね。
はじめはね、挨拶をしていたように思うよ。
でも相手がこちらに気付かないこともあって無視されて、それがイヤだから最初から目を合わさないように下を向いて歩くようになった。
「きっと体育会系のともだちの前だったら、『やぁ』と言った後にあなたの悪口を言うでしょうね」
シャツの袖口で涙を拭うブライアン。
「ぼくは挨拶をするよ、たとえきみたちが無視しようとね」
相手の個性や生き方を尊重するように、と先生は教えてくれる。
だけど、親の価値観や周囲の雰囲気に流されて、わたしたちはこころの輝きをどんどん失っていく。そしてそれが当たり前になってしまう。
ブレックファストクラブの5人は「自分とはなにか?」の枠を越えて、「ほんとうの自由」を求めているように見えた。
ぼくたちには、「スポーツマン」や「不良」、「秀才」なんていう偏見は、もうないんだよ。
( ..)φ
「華氏451」以来に、ぜんぜん書けなくて大変もどかしい。
きっと、映画との距離が近すぎるんだろうなぁ、くぅぅう~~~!