アカバネ

悪魔のいけにえ2のアカバネのレビュー・感想・評価

悪魔のいけにえ2(1986年製作の映画)
4.3
公式同人誌。

’74年の『悪魔のいけにえ』から12年越しの続編となる本作。オープニングのクレジットに堂々と記してある通り、監督は引き続きトビー・フーパーなので、紛うことなき正統派続編なのだが...どうも二次創作のような雰囲気が漂う映画となっている。

映画は二人組の高校生が車をかっ飛ばしているところから始まる。彼らはこれからパーティーに向かうとのことで、ハイテンションに拳銃を乱射したりラジオDJ(主人公)に迷惑電話を掛けたりしている。
そんな彼らはレザーフェイスの乗っている車を煽ったことでカーチェイスに発展し挙句の果てには惨殺されてしまうのだが、ここで特殊撮影を担当したトム・サヴィーニの手腕が見事に発揮されており、チェーンソーで上半分をもっていかれた頭部がリアルに描写されている。
更にはカーチェイス中はOingo Boingoの『No One Lives Forever』が流れ、観客のテンションをアゲアゲにする。
このカーチェイス殺人は本作屈指の名場面と言っても過言ではないだろう。

ここまで書けば分かる通り、本作は前作とは全く別の映画なのである。
しかしこれには誰も文句を言えない。何故ならば本作は最初に書いた通り、トビー・フーパーが監督した映画だからである。他の誰かが監督して本作が出来上がったのならば非難されても可笑しくないが、監督したのは前作と同様、トビー・フーパーなのだ。我々観客に許されるのはこれを受け入れることだけなのである。
そもそも『悪魔のいけにえ』の続編を考えたとき、あの奇跡的な恐怖を超える体験など期待しても仕様がないのだ。そんなのフーパー本人ですら表現できるか怪しい。なので本作については、単純に別ジャンルへと路線変更したと考えるのが妥当だろう。
16mmフィルムの粗い映像が織りなすドキュメンタリーのようにリアルな恐ろしさ、レザーフェイスをはじめとしたソーヤー一家に為す術なく蹂躙される主人公たち、一家が暮らす家の不気味な美術...これら前作において”ホラー映画として”観客を惹きつけた要素は本作では確認できない。

ホラー映画においては基本的に主人公側が恐怖の対象に抵抗する手段を持ち得ないことが大事な訳であるが、本作では打って変わってデニス・ホッパー演じるレフティ保安官が勇敢にチェーンソーを3つも揃えてソーヤー一家に立ち向かう。前作においては「主人公を脅かす存在」であったチェーンソーが、本作では「主人公を守る存在」としても頼もしく振り回されるのだ。この迫力には主人公の存在すら霞んでしまう。
レフティ保安官の描写はどれも素晴らしく、やけに迫力の無いチェーンソー試し切り場面は可愛らしさに溢れているし、叫びながらソーヤー一家の住む廃れた遊園地に突撃する場面や、遊園地の地下(お化け屋敷的なセットが素晴らしい!)にて崩落など微塵も気にせず柱や梁を切断しまくる場面などはとても面白い。極めつけはレフティ保安官とレザーフェイスがチェーンソーチャンバラを繰り広げる場面であるが、これは本作が断じてホラーではなくアクションの映画なのであるという大事な表明の場面であるとも言えるだろう。表明にしては遅すぎるが。

といった感じで、その潔い路線変更が寧ろ心地良いとも感じられる本作であるが、所々に二次創作感みたいなのがあるのも本作の特色である。
というのも、本作は正統派続編なのにも関わらず随所に一作目のパロディを行っているのだ。ハンマーで頭を殴られて痙攣、鉄製の引き戸、じい様が何度もハンマーを落とすうえに全然当たらない、チェーンソーを持ちながら乱舞...ほとんどが絵面だけを真似た表面的なパロディなのだが、「鉄製の引き戸」についてはチェーンソーと同様、一作目とは対照的に本作では「主人公を守る存在」として機能しているのが巧い。
とは言ってもパロディはパロディである。ただでさえガラッと路線変更してホラーコメディみたいな雰囲気なのに、そのうえパロディまで詰め込んでくると例え正統派続編であっても公式同人誌みたいになるのは仕方のないことである。
アカバネ

アカバネ