アカバネ

クリード チャンプを継ぐ男のアカバネのレビュー・感想・評価

5.0
私たち一人ひとりがクリードであり、ロッキーでもあるのです。


思い返せば本作の製作が発表されたのはいつだったか。当時はそのニュースを見た誰もが、「6作目で綺麗に終わったものを、余計なものを付け足しやがって」なんて思ったことだろう。
私自身も確かにその一人であった。

しかし蓋を開けてみれば、本作は紛れもない大傑作だったのである。

まず冒頭からその片鱗を感じられる。
少年院の廊下を、列を成した少年たちが歩く。これを非常に静的でドライな、『ロッキー』におけるフィラデルフィアのストリートを想起させるカメラワークで見せる。
すると突然非常ベルが鳴ると同時に、一人の警備員が廊下手前から奥へとダッシュする。カメラはカットを割ることなくその背中を追いはじめ、果てには大部屋で乱闘を繰り広げる大人数の少年たちを映す。その生々しさはドキュメンタリーのようでもあり、華々しい過去作とは対称的である。
当然のことながら言葉だけでは伝わりにくいが、こうしてアドニス・クリードの物語は始まるのだ。

彼はその人物像からしても、ロッキーとは対称的だ。
メアリー・アンの下で暮らす彼にはちゃんとした仕事があり、そこでは昇進するほどの実力もある。アポロの息子なだけに財産も十分あるのだろう、豪邸に住んでいて、なんなら無職でも一生困らないんじゃないかとすら思える。
「生きる為に残された唯一の選択肢」としてのボクシングをしていたロッキーに対してのこれでは、一見してクリードがボクシングを行うことに必然性を感じられないこともあるだろう。
しかし、そこにこそ本作のオリジナリティが込められているのだ。

先程記したように、アドニスは社会的にも恵まれているからこそ、危険なボクシングに拘らずとも生きる術がある。それだけにアンやロッキーは、彼がプロボクサーになろうとすることに対し「父の影を追う必要は無い」と、初めは否定する。
だがアドニスはそれに屈する訳にはいかない。彼の心はボクシングに対する情熱でこれ以上ないくらい燃え滾っているのだ。
それを示すのが序盤の1シーン。仕事から帰宅したアドニスはプロジェクターで投影されたYoutubeを大画面で観る。流れる動画は、かつてのロッキー対アポロの試合を映したものだ。
それを観ていたアドニスはやがて立ち上がり、画面の中で戦うアポロと向き合って対話するかの如くシャドーボクシングをする。
かつてロッキーやアポロの様な「伝説」と呼ばれる存在が誕生し活躍した時代があったとして、アドニスはそれが過ぎ去った”後の時代”に生まれた存在である。そんな伝説の恩恵を受けた”後の時代”においては、最早新しい何かを生み出そうとするのは無駄な足掻きにしかならないのかもしれない。それでも、アドニスにはアポロの血が流れているからこそ、ボクシングを求めずにはいられないのだ。
過去のデータ越しでしか親と対話できないという悲しさと同時に、そんなアドニスの心情をも見事に表現した素晴らしい場面である。

そして、そんなアドニスのトレーナーに就くのがお馴染みのロッキーであるが、映画中盤にて、彼も彼である悩みを抱えていることが判明する。
それは、現代においては「過去の遺物」となってしまった、未来がない自分自身の存在意義である。

アドニスもロッキーも普遍的なキャラクターだ。
誰だって「過去の恩恵を受けまくった時代においても新たに何かを生み出したい」、果てには「何かを達成したり、最愛の人を亡くした後の人生に意味を見出せない」というような悩みを抱えているのではないのだろうか。これは『ロッキー』シリーズが幕を閉じた後に作られた本作にも通じる関係性である。
しかしそんな本作であるからこそ、このような問題に対する答えをしっかりと物語で提示してみせている。
「そうしたいならば全力で挑戦すれば良いし、それを全力でサポートしてやるのも一つの役割だ」
これはリングで戦うアドニスと、それをセコンドから助言するロッキーや、戦い続けられるように手当するカットマンのスティッチに象徴されている。


また、「クラシックである『ロッキー』に対してのモダンな本作」というイメージは技術的な面でも表現されている。

映画が始まってまず意識させられるのは、その「音」である。
例えばメキシコでアドニスが試合をする場面では、グローブがコンクリートの壁に当たる音やジャブをするときに吐く息の音など、さり気無い所まで気が配られている。これによって過去のシリーズでは決して感じられなかった圧倒的なリアリティを観客に感じさせる。

そして、そのリアリティをより際立てているのが最初にも少し言及したカメラワークだ。
代表的なところで言えば長回しであるが、中盤の対レオ戦においては試合が始まってから決着が着くまでの2ラウンドを全てワンカットで撮っているのが素晴らしい。カットの切れ目が無いことによって、「いつ勝敗を決めるパンチが繰り出されるかわからない」という緊張感を画面全体にもたらし、小さなジャブがアドニスを掠っただけでも息を呑むような衝撃を観客に与える。
最初のメキシコでの試合と終盤の対コンラン戦においては、控室からリングに入場するまでの移動を背中を追うようにワンカットで撮影している。これによって、「一人でボクシングをしていた頃」と「プロとしてデビューした後」のアドニスを対比させているのが巧い。

劇中でかかる音楽にしても、ヒロインのビアンカが作曲する音楽がエレクトロ調のメロウな曲(R&B?)だったり、挿入歌がヒップホップ中心であったりと、そういった面でも本作を「アドニス・クリードの物語」にちゃんと仕上げているのが素晴らしい。


こうして『クリード チャンプを継ぐ男』は『ロッキー』とはまた違ったかたちで全ての人間にエールを送る。あらゆる面で紛れもなく”今”の映画なのだ。
アカバネ

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