アカバネ

ランボー ラスト・ブラッドのアカバネのレビュー・感想・評価

5.0
何とも意地が悪い。

前作「最後の戦場」のラストにて、ランボーは故郷の家へ帰った。これで彼は長く続いた戦いからやっと解放されたのだと、あの映画を観た誰もが思ったはずだ。
しかしそこへ「本当に解放されたの?」と、意地悪でありながらもリアルな視点で切り込んだのが本作である。

冒頭、人命救助のボランティアから帰還したランボーには家だけでなく、「家族」と呼べる人が待っていた。まず彼が「面識もない人の救助を無償で行う」という点だけでも内面的な変化が伺えるが、何よりもずっと孤独だった彼に家族ができたというのが、良い意味で衝撃的であり、彼の苛烈な生き様を観てきた観客としては涙モノである。

そんな調子なので一見心の傷が癒えたように見えるランボーであるが、彼の中であの戦争はまだ終わっていない。
彼は家の隣にある納屋の地下に迷路のようなトンネルを掘っており、そこで毎晩寝ている。それはまるで「ベトナム戦争の記憶」という出口のない悪夢に、今も囚われ続けている彼の心情を象徴させているようでもある。そしてそれを決定づけるかのように、彼はそこでかつて従軍時代に仲間と聴いていたのであろうドアーズの『FIVE TO ONE』を流している(しかし劇中でトンネルが掘られている理由は明かされないのでどうとでも解釈できる)。
あまり長くはない場面での描写であるが、これだけでも彼のトラウマが未だに癒えていないことが十分理解できる。
トンネルについてもう少し言及させてもらえば、先程記述した「ランボーの心情を象徴させている」という理由だけでなく、「戦いから身を引いても尚敵の恐怖を感じる彼が、いずれまた来るかもしれない戦いに備えて作った」という解釈もできる。これは2018年版『ハロウィン』のジェイミー・リー・カーティスや、もっと言えば現実の退役軍人にも通じる心理であると言える。また「地下トンネル」というのは、かつてベトナム戦争時代にベトコンがゲリラ戦を仕掛けるために掘っていたものでもある。

そんな感じで未だ戦争に囚われているランボーを、本作の物語は残酷な形で暴力の世界へ引き戻す。それはまるで「戦場だけがお前の居場所なんだよ」と、マトモな人生を送ろうとする彼を真っ向から否定しているようにも思える。
ここまでくるとランボーの報われなさに悲しくなってくる...と思いきや、ランボーもランボーで「戦場が一番生き生きできるや!」と開き直るかのように、後半は「最後の戦場」に引けを取らない程大暴れするのが面白い。
おまけに「それでも俺は戦い続ける」的なニュアンスのナレーションまで流れるのだから、案外大丈夫そうで安心させられる。

アメリカンドリームを体現した『ロッキー』に対しての、アメリカの暗部を体現した『ランボー』。この構図をより意識させるかのように、この映画はランボーに安息を許さないのだった。
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