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パンズ・ラビリンスのkoyaのレビュー・感想・評価

パンズ・ラビリンス(2006年製作の映画)
4.0
この映画が終わった後に、誰かが

「かわいい女の子が出てくるファンタジー映画だと思って、家族で楽しもうなんて来たら、大変なことになるね」

と言っていたのが聞こえましたが、確かにそうです。

 確かに、主人公の少女、オフェリアは、「おとぎの国の選ばれし王女」なのかもしれませんが、少女を取り巻く大人の世界はとんでもなく、暴力的で、血なまぐさく、裏切り、虐殺・・・そんな大人のリアル、現実としての闘いが、しっかりとしつこいくらいに描かれているのです。

 1944年、スペイン。
フランコ将軍の独裁政権が始まったころ、それに対抗するゲリラたちが山にこもる。
少女、オフェリアは、父をなくし、母が再婚した相手は、そのゲリラを退治する任命をうけたヴィダル大尉。
大尉のもとへと山の中へ越してくる母子。
母は、ヴィダル大尉の子を宿しており臨月。

 ヴィダル大尉と始めて会う時に、差し出した手を握手ではなく、手をひっつかむようにするところからして、不安の要素がたくさんです。
ヴィダル大尉は大きな家に住んでいますが、家政婦のメルセデスと母をみる医者は実は、ゲリラの協力者なのです。

 何かあれば、情け容赦なく拷問にかけ、なんとしてもゲリラを虐殺したい、と気が狂ったように残酷な義父。
オフェリアは、家の近くの石垣の迷宮に入った時、パン(牧神)に出合う。
王女であることを証明するために3つの試練を受けろ・・・パンは、オフェリアに試練を与える。

 オフェリアの試練と、現実の世界で起きている血なまぐさい闘い・・・両方が同時進行するので、ファンタジーは半分かもしれません。
ですが、現実が厳しければ厳しいほど、抑圧されればされるほど、オフェリアは、迷宮にひきこまれていく。

 特に、派手な特撮はしていない・・・むしろ自然のものをふんだんに使って、迷宮=ラビを描き出します。
決して、食べ物を食べてはいけない、、、と言われたたのに、豪勢な食卓のブドウがたまらなく食べたくなってしまうときのオフェリアの傲慢な顔つきというのが、とても印象に残っています。

けなげで、かわいくて、優しくて、強い・・・そんな大人からみた「ファンタジックな子供」とは決して描いていません。
そして、試練という冒険を乗り越えていく、というありがちな爽快感は、避けています。
ダークに、残酷に・・・・少女だからといって、パンは許さないことは許さない。

臨月で体調が悪くて苦しむ母を助けたい・・・と思っても、なかなか上手くいかない。
ヴィダル大尉といえば、産まれてくる自分の子供だけが、実は目的で、後妻や連れ子のことなど何も思っていないという冷酷ぶりが、凄かったですね。

 だんだん、内部のゲリラ協力者たちは、身元がばれはじめる、ゲリラたちは、攻撃してくる、ヴィダル大尉はますます焦ってくる・・・そんな「誰もかまってくれない」少女にあるのは、「自分はラビリンスの地下にある王国の王女なのかもしれない」という悲しい妄想。

 大人たちがそれぞれの思いこみや妄想で、争いあっている中で、ひとりファンタジーの妄想を貫こうとする少女、オフェリアが痛々しい・・・けれども、オフェリアは、大人に打ち明けることなく、試練を乗り切ろうとする。

 大人と子供のそれぞれの違った悪夢。
大人の悪夢は、どんどん破壊的になっていき、少女の悪夢はどんどん内にこもっていく。
ファンタジーとひとことで言っても、ありがちな「イメージ」にはとらわれず、禍々しくも美しい、残酷で哀しくて、独特の色遣い、美術に筋を通したところ、やはり、この映画は子供映画ではありません。
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