るるびっち

タイタンの戦いのるるびっちのレビュー・感想・評価

タイタンの戦い(2010年製作の映画)
3.8
言霊とまでは言わないが、台詞というのは価値観をひっくり返すものだと思っている。
シェイクスピアの『マクベス』で、
「女から生まれた者に倒されることはない」との魔女の予言で、安心していたマクベス。
しかし立ちはだかるのは、女の腹を破って出てきた者(帝王切開)。
言葉の綾に過ぎないが、マクベスはそれを聞いて絶望する。
若い時は下らないと思ったが、言葉というのは現実を離れて何か力を与えてくれるものだろう。
ベタな例だと「死にたい」と嘆く人に、
「死ぬ勇気があるなら何でもできる」と、ネガティブからポジティブへ価値を180度転換する言い回し。
そうした言葉の力みたいなものが、台詞の面白さだと思う。

本作では人間と神のハーフということで、皆に不審がられ出生にマイナスの価値観しか持っていなかった主人公ペルセウス。
「神でも人間でもない、それを超えた存在」
できそこないではなくて越えた存在だと、マイナスをプラスに修正した言葉に励まされる。
その言葉は、仲間と恋人の死という絶望の中で聞くのだ。
闇の中の一筋の光明。

神に作られた人間が神に反逆して、神を怒らせる。
しかし人間の神への反抗心は止められない。
これは父親に対して反抗した息子が、父親に体罰を食らいながらも、父親の敷いたレールを外れて自立して行く姿を模している。
神話は、世代の違う親子の姿を「神と人」の形を借りて語っているのだ。
神に対して反発し信仰心を薄める人間に対して、怒りと寂しさを感じる神ゼウス。
父の教えを無視して、自己の価値観で進む息子。それを許せない父親のようだ。
神を忘れていく人類の姿は、神から自立することを示し、新しい時代の夜明けを描いている

半神半人でありながら、人間の側につくペルセウス。
しかし半神ということで、人間に疎まれる。
一方で、神の力を借りてバケモノを倒せと強いられる。
ペルセウスは、神の力は借りないと頑固に反抗する。
ゼウスが与えた剣を利用しない。
ここが面白くて、親父の力は借りないと反抗してる息子みたいだ。
神に助けられるのではなく、自身の力で運命を切り開くのが人間。
人間は決して神の操り人形ではない、とのメッセージだろう。
ゼウスと和解した二作目『タイタンの逆襲』では、ペルセウスの暗い反抗心がなく冒険のカタルシスだけだ。

神を恨みながらも、悪神に利用されるペルセウスの義理の父親。
滅びる瞬間、半神半人のペルセウスに呟く。
「神にはなるな・・・」
神に翻弄された人生が、いかに辛く悔しいものだったかを感じさせる。

神をただ崇めるのではなく自らの意志で立ち上がり、神の身勝手な支配から脱する自由な存在である、という人間賛歌を描いている。
だから、最後までペルセウスは神になろうとしない。
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