みんなはこの映画嫌いかもしれないけど、
俺はそこまで嫌いになれない…。
シャマランの中でも、
『サイン』はあまり好きじゃない。
(実は俺のシャマランデビューはこの『サイン』だったりする)
ただのSFやん??って感じで、
作る意味がマジでわからなかった。
(まぁ、観た時小学生だったんで…)
でも、本作は完全にシャマランの思想を反映した宗教映画であった。
俺はシャマランだと『アンブレイカブル』『ミスターガラス』がダントツに好き。
シャマランのヒーローに対する考え方を広めるための宗教映画であるから。
だって、世の中にこんな考えがあるんだって知るのは面白いじゃん。
スーパーヒーローが存在することの良さと悪さ。
結末の是非は置いておいて、
いろんな価値観に触れられるのは映画の醍醐味。
今作も実はヒーローについて描かれていると思う。
みんなが言っているように、
話はとても小さなもので、
アパートに迷い込んだ水の精をアパートの住人達で元の国へと帰すだけの話。
でも、そんな平凡な人たちが彼女を帰す為に必死になっているのは、
なんだかヒーローのよう。
「物語の主人公は自分が主人公であることを自覚していない」
劇中でそう水の精は言う。
彼女を帰す為に必要となる役割の人たちも
その自分の役割を自覚していない。
でも、自分だって何かしらのヒーローかもしれないし、
こうやってみんなで結集すれば、
世界を救えるかもしれない。
御伽噺で子供たちにこのことを伝えられたなら、もっと面白い社会になりそう。
このアパートが人種のるつぼになっているのも、世界平和を願っているよう。
そして、ヒーローたらしめてる要因として、
その人が何かに苦しんでいるからこそ
ヒーローになれたということも伝わってくる。
苦しんだからこそ、その後悔から、
強くなり、誰かを守りたいと言う気持ちが生まれる。
例え傷ついたって、誰かのヒーローになれるのだ。
なんか、こう書くと、すげぇかっこいい話じゃん。
確かに行き当たりばったりだし、
盛り上がりはない映画だけど、
とてつもなく希望が持てる映画ではないか!
自分も何かのヒーローなのかなぁ、
なんかそう期待してしまう今日この頃。
(やっぱり、シャマランは厨二)