結局、
着地点を見ないような市井の生活は、三文小説そのもので、日々に少しのアクセントを加え、しるしみたいな思い出を打ち上げては、感傷に浸り、解釈の美化に臨んでる。流れていく会話も、錨のように垂れ下がる感情も、落ち着くとこに落ち着いては、まぁなんとなく、と明日を迎える。
目には見えないけど、命の危険はすぐ傍にあって、目には見えないけど、神の奇跡に遭遇して、物語が陳腐であるほど、求心力は大きくて、ぬるま湯の中でウトウトしちゃう。
でも、
でも、
わたしたちの想像を軽く超えてしまう瞬間は確かに存在して、たぶんその奇跡みたいな甘い痺れに、静かに胸を高鳴らせてる。
ただユマ・サーマンがミルクシェイクを飲むだけで良かった。その瞬間、タバコを吸う仕草は、ニヒルな笑みは、狂ったツイストは、この作品の絶頂点に登りつめ、後半は残像を伴った余生に過ぎなくなった。誰にでも、あの日あの時があるような、道ですれ違ったとてつもないタイプの異性に戦慄を覚えるような、燦然たる里程標。
だったら、それでいいんじゃない?