アー君

きっと ここが帰る場所のアー君のレビュー・感想・評価

きっと ここが帰る場所(2011年製作の映画)
3.4
題名はトーキング・ヘッズのThis Must Be the Placeから引用しており、またデヴィッド・バーン自身も音楽とゲスト的な本人役として主演を兼ねている。しかし本人役として出演したライブの容貌が余りにも白髪が多くて驚いた。この曲は「羊たちの沈黙」でアカデミー賞を獲る前の無名時代のジョナサン・デミが撮った「STOP MAKING SENSE」のライブで知ったが、このバンドで一番好きな曲かもしれない。エンドクレジットで女性が歌うシーンがあったが、印象は変わるが楽曲の素晴らしさは歌い手が変われど普遍的である。

主人公のシャイアンは姿格好からすれば一部の洋楽通はご存知かと思われるが、The CUREのロバート・スミスを参考にしたようだ。本人に承諾を得たのか、そしてこの映画をどう思っているかは分からないが、パロディとして描くにしてはちょっと小馬鹿にしていて残酷な感じではあった。

キャスト陣は「職業欄、俳優」ショーン・ペンもさることながら、消防士として働きながら女房役を演じたフランシス・マクドーマンドは少ない出番ながらもベテランとして仕事をこなしていた。

ストーリーの要素としてゴシックミュージシャンや公務員、ホロコーストによるナチス問題などを盛り込んでおり、ありそうでないような面白いシチュエーションかもしれないが、どこかごった煮で“チャンポン”のような鼻につく世界観でもあった。

時折くすりと笑ってしまうところもあり、少し変わったロードムービーであったが、その妙な緩さが人によっては冗長で退屈な印象はあるが、ラストでシャイアンが化粧をやめたシーンこそがこの映画としての肝であり、評価はわずかではあるが高くはなった。

30年以上不在の父との蟠(わだかま)りを自身の力で解決したときこそ、初めてペルソナであった化粧をしなくても自身として生きられる主人公にはどこか感情移入することができた。

小生も実父とは数十年余り疎遠であり、突然の死亡告知とゴタゴタで葬儀はできなかったが、なんとか遺骨を探して四苦八苦したことを思い出したが、納骨後に何か自分の中のモヤモヤした嗜癖が僅かながら治ったことがあったが、血縁とは歪み合い離れていたとしても不思議な因果があるものだと思ったものだ。

[DVDによる購入・視聴]
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