このレビューはネタバレを含みます
1946年制作、フランク・キャプラ監督による人間ドラマの名作である。
1930年代から40年代にかけて綺羅星の如くに名作を生み出した巨匠フランク・キャプラであるが、その作風は社会風刺が効いていてヒューマンなタッチに溢れている。
1934年の「或る夜の出来事」、36年の「オペラハット」、38年の「我が家の楽園」で3度のアカデミー監督賞に輝き、この後に「スミス都へ行く」と本編が続く。
キャプラの出自はイタリアのシチリア島でブドウ園を営む貧しい7人兄弟の家庭に生まれる。6才の時にアメリカロサンゼルスに移住、新聞配達や種々のアルバイトで家計を助ける生活を送る。(by wiki)
様々な苦労と経験が肥やしとなって人や生活、出来事の本質を見抜く目が出来上がり、後々の人間ドラマの創造に貢献していくことになる。
主演のジェームズ・スチュワートがまだ若い。
善良な古き良きアメリカの中流階級市民を数多く演じたキャリアとその誠実さにより、まさしく「アメリカの良心」と呼ばれるに相応しい役者であった。
彼はインタビューで好きな監督はこのフランク・キャプラとヒッチコックだと語っている。
また、妻役のドナ・リードも美しい。
「ベニー・グッドマン物語」でも感じたが、イングリッド・バーグマンを彷彿とさせるような凛として品がありつつ憂いもある魅力的な女優である。
そして本編はウィリアム・ワイラー監督、ジョージ・スティーブンス監督らと立ち上げたリバティ・ピクチャーの第一号作品でもあった。
物語は天空の神と天使の会話から始まる。
ニューヨーク州ベットフォールズの中流家庭に暮らすジョージ・ベイリー(ジェームズ・スチュワート)は様々なことが重なり絶望し、自らの命を絶とうとしていることを見た神が二級天使のクラレンス(ヘンリー・トラヴァース)に地上に降りて彼を助けるように指示する。クラレンスは天使の羽を付けてもらうことを条件にベイリーのこれまでの人生を頭に吹き込まれる。
住宅金融会社を営む父と優しい母のもとで不自由なく育ち、町の女の子からも人気者であったが、ある日弟が池に落ちそれを助けるもその時に左耳の聴力を失ってしまう。
町の薬局でアルバイトをしている時に薬剤師が間違えて劇薬を混入した処方箋をベイリー少年に宅配するように命ずる。
それを指摘しても精神がおかしくなっている薬剤師に取りつく島もない。
届けずに戻ると大目玉をくらうが訳を話すとジョージに泣いて詫びたりするようなこともあった。
こうしたエピソードが語られジョージは成長し、海外旅行や大学進学を標榜する年になる。
そんな時に知り合ったメアリー・ハッチ(ドナ・リード)から好意を寄せられるも、ジョージは今後のことで頭が一杯であった。
その時、父が急病で亡くなりやむなく会社を継ぐことになるが町の大富豪で悪徳実業家のポッターに会社を潰されそうになったりするもこうした妨害を乗り越えていく。
そんな中、メアリーを愛していることに気づいたジョージはメアリーと結婚し、その後何かにつけて会社を乗っ取ろうとするポッターの妨害を跳ね除け身銭を切って町の人達に貢献する。
そして会社の運転資金8,000ドルを叔父に預け銀行に届けさせるが、途中で出会ったポッターに知らぬ間に横取りされてしまう。
命綱だった資金が紛失し、捜索するも発見できず絶望に陥いる。
ある橋にさしかかり保険金で片を付けようと身を投げるところまで追いつめられたジョージが川に飛び込もうとした時、隣から先に身を投げる男がいた。
派遣された二級天使のクラレンスである。
思わずジョージも飛び込み彼を助けるが、自分も死にたい、自分がいなければ皆幸せになったに違いないと漏らす。
クラレンスは扱いに困りつつ「それでは望みを叶えよう」と言うと、雪が止み、聞こえなかった左耳が聞こえている。
町に戻ると町の様子が一変していた。
町の名はベッドフォールズではなくポッターズビルになっており、荒れた町並みにギスギスした人々、調剤師は子供を毒殺した罪で刑務所に20年入っていたり、弟は少年期に池に落ちて溺死していたり、知人友人も無く、優しい母は安宿の下品な女主人に、会社は当の昔に倒産、我が家は廃屋、メアリーは独身のままO Lとなりジョージのことなど知らずに怯えて逃げ出す有様。
半狂乱となって走り回り気がつくと自殺しようと思った橋に来ていた。
「こんな世界にはいたくない」と神に元に戻らせてほしいと懇願する。
すると雪が降り出して元に戻ったジョージは悔い改め、家に戻る。
すると妻メアリーが町の人々にお願いし寄付を募ったことから彼のためならと多くの人が集まって来て多額の資金が用意されていた。
そして寄付金の山の上にクラレンスがいつも抱えていた本が置いてあり、背表紙には「友はかけがえのないものだ 翼をありがとう愛を込めて クラレンスより」とあった。
そして皆の蛍の光の大合唱が響き渡るのだった。
「ベルリン 天使の詩」はこの映画がなかったら生まれていなかったかもしれない。
キリスト教的ファンタジーの中に深淵な人生哲学が織り込まれている。
世の中には現状に満足せず、不平不満たらたらで飽くなき欲望の塊となって不足顔で暮らしている者が多い。
この物語はある種の啓示を与えていると思える。
少し考え直せば素晴らしい人生を送っている事に気がつくのだと。
少し考え直せばかけがえのない命を全うしている事に気がつくのだと。
少し考え直せば他に進むべき道や方法がある事に気がつくのだと。
多くの人は少し考え直すことが出来ずに慌てふためいているか、錯乱しているのかはたまたただただ茫然としているだけなのかもしれない。
日本では年間3万人近くもの自殺者がでている実態があるが、精神がやられ鬱的な状況の中で発生しているという。
ちょっと立ち止まって考え直せば、少し視点を変えれば生きる「よすが」が目の前にあることをこの映画は示唆しているように思うし、そんな救いの方途をこの映画はさしのべているようにも思う。
数少ない人を救済する映画の一つである。