馬井太郎

ウインドトーカーズの馬井太郎のレビュー・感想・評価

ウインドトーカーズ(2002年製作の映画)
3.8
この映画の舞台となったサイパン島とフィリピン・ミンダナオ島の中間に、「パラオ諸島」というところがある。この中の「ペリリュー島」は、日本軍が占領支配した最南に位置する小さな島で、太平洋戦史の中でも、最強の部隊であった。
とはいえ、米軍は、3日で落とせる、とふんで、攻撃に出た。しかし、日本軍は、地下壕をはりめぐらし、奇襲戦法で反撃、たった1万の兵力で、その6倍の米軍に、半年以上迎反撃を繰り返したのである。
現地の住民は他島に避難させて、ひとりの犠牲者も出すことはなかったが、その住人曰く、島全体が燃えているようだった、という。
今から35年以上前になるだろうか、その当時の戦火を逃れ生き残り兵士だった3名が、Y新聞社の協力もあって、戦後初めて遺骨収拾のため島を訪れた。そのうちのひとりが、その頃、私と仕事上近い関係にあって、じかに話を聴く機会があった。
火炎放射器の攻撃を受けた洞窟のなかに入っていくと、背中を、ポンポン、と叩かれたような錯覚というか、感覚をおぼえた。まさかとは思いながら、その箇所を掘っていくと、何と、人骨が出てきた、というのである。
この話を耳にしたとき、わたしは、背筋に冷たくはしる感動に震えた。

当映画は、サイパン島での激戦をアメリカ側から描いたものだ。監督のジョン・ウーは、台湾出身、戦後生まれだが、かの地は日本の支配下にあった時期がある。
映画では、日本兵がぞろぞろ、ごろごろ撃たれ、爆死・吹き飛んで死んでいく。まさか、ここで、その怨念をはらそうとは信じたくないが、観終わった後、なんとなく心底を垣間見たような、薄曇りの空を仰ぎ見る思いがのこる。

天皇陛下ご夫妻が、近々、ペリリュー島をご訪問されるという報道を見た。お会いした90歳代の二人のご老人、あの時の3人のうちのふたりであったろうと、確信する。

話して聞かせてくれた私の知人は、遺骨収拾の後、数年で亡くなってしまった。いまも、私の心に残る人格者だった。

追記:ペリリュー島近海は、スキューバ・ダイビングの宝庫と云われる。海は透き通り、沈船も多く、一度はダイブしたいスポットと聞いている。もし、読者のなかに、ここを訪れるダイバーがいらして、この稚拙文を、少しでも思い出していただけたら、これ以上の幸せはない、と感謝します。