なべ

ファイト・クラブのなべのレビュー・感想・評価

ファイト・クラブ(1999年製作の映画)
5.0
 午前十時の映画祭で久しぶりにファイトクラブを観た(って8時45分は午前十時じゃないだろ。7時に起きると1日中体調がおかしくなるんだってば)。わずか2行の味気ないレビューだったので全面的に書き直しました。いいねくれてた方ごめんなさい。

 ああ、完璧じゃないか! 不要なカットなどひとつもない。畳み掛けるような攻めの編集が、どこに向かうのか読めない話の展開がやたら気持ちいい。チラチラとサブリミナルなタイラーの出現も悪ふざけのようで思わず笑ってしまう。
 そうそう、エドワード・ノートンのこの語り。映画の中の説明描写は大嫌いだけど、「僕」のナレーションは好き。ずっと騙され続けた挙句、えぇっ!と驚けたのはあの飄々とした自分語りのおかげだ。状況や設定の補強だけじゃなく、ちゃんとミスリードを誘う働きが巧妙なのな。まさか映画で叙述トリックを仕掛けられるとは思わなかった。
 不眠症→病院→もっと深刻な人がいる→睾丸がん患者の集いって自助グループに至る導入部の流れがイカしてるよなあ。人の不幸をコケにするような話ながら、なんと印象的なシークエンスなんだろう。誰かの身に起こった確かな不幸や絶望の中で得られるエゴイスティックな充足感? それとも悲しみの共有による偽りの癒しと安心感? いずれにせよ「僕」にとって、自助グループが心のオアシスだったのはとてもよくわかる。
 昔、不良と生徒会と部活を掛け持ちしていた時期がある。パーソナリティ障害ではなかったけど、両極端な二重生活が思春期の心の平安に大いに役立っていたのは確か。だからというわけではないが「僕」へのわかりみというか思い入れが人一倍強い。
 人を殴ったり殴られたりした経験がある人はわかると思うが、そうすることで得られる生の実感って結構強烈なのだ。アドレナリン放出による震えや翌日の身体のこわばりなど、かなり生々しく生きてる感じが得られる。さすがに今はあんなライフスタイルは怖くて送れないけど(たぶん死んじゃう)、タイラー・ダーデンには憧れる。「最高の映画キャラクター」第1位も納得。だって究極の不良なんだもん。いい歳こいてタイラーを見て身体が疼くってどうなの?って思うけど、もし昔の仲間が隣にいたら、試しに5分間だけ(いや、3分にしとこう)殴り合ってみるかもしれない。それくらい見終わった後の力のみなぎりがすごい。
 二重人格なんてサスペンスやスリラーでは散々使い古されたテーマだけど、こんな風に「暴力と“僕“と社会」なんて組み合わせで文明論を構築されたら、もう絶対好きになっちゃう。究極だよね。
 サスペンスとしてはもちろん、ミステリーとしても一流のストーリーテリング。初見時にタイラーの正体を知ったときには愕然としたもん。劇場も少しざわついてたなあ。何度も繰り返し観てるから、今回はさすがに驚かなかったけど、それでも「僕」がタイラーの足取りを追って各都市を巡るところではドキドキしたし、タイラーとの最後の格闘シーンにはハラハラした(このシーンのプラピのクソダサいタンクトップがなんかツボ)。
 スピード感は今どきの作品よりあるんじゃないか? 全編疾走感でみなぎってるよな。携帯電話や監視カメラがない時代なのに古さを感じさせない。てか、日本じゃやっと今IKEAの(商品ごとに変な名前がついた)家具で部屋をコーディネートするところに到達したくらいじゃない?
 話を知ってる身としては、どうしても辻褄が合ってるかどうかを気にしながら観ることになるんだけど、そんな意地悪な観方でも存分に楽しめちゃう物語の強度が素晴らしい。隙がないのだ。しかも結構笑える。シリアスパートに入ってからも笑えるから。「彼の名はロバート・ポールセン」のシュプレヒコールなど、ゾッとしながらもひきつった笑みを浮かべてたわ。
 マチズモから反グローバリズム型テロルへの発展を描きながらも、暴力があまりにも魅力的に見えてしまうのは、この映画の欠陥なのか完璧さなのか…今も判断がつかない。うちのオヤジなどは本作を悍ましい暴力ポルノと断じたが、ぼくはこの映画を愛してやまない。
 
 最後、マーラと手を繋いで見るビルの崩壊シーンのロマンチックなこと!この話の流れで最後の着地点がここ? すげーな、この頃のフィンチャーは。あんなにゲスいマーラが愛おしくてかわいくてキュンとなるなんて。暴力的な映画のクロージングが2人のシルエットってなんだかグッと来ない?
なべ

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