あなぐらむ

インディアン・ランナーのあなぐらむのレビュー・感想・評価

インディアン・ランナー(1991年製作の映画)
5.0
アメリカ映画の個性派・演技派アクターであるショーン・ペンの初監督作品。ブルース・スプリングスティーンの「ハイウェイ・パトロールマン」にインスパイアされたという本作は、ベトナム戦争終結、ヒッピー・ムーブメントといった第二次大戦後のアメリカに最初に訪れた混沌の時代、60年代末期を舞台にした、苦く哀しい兄弟のドラマである。
シンプルなストーリーだ。責任感の強い、しっかり者の兄がいる。兄は農夫だったが不況で農場を捨て、警官になったという経歴がある。ベトナムから弟が帰ってくる。昔から不良のレッテルを貼られているような弟だ。屈折していて素直でないに加え、従軍によって精神を病んでいる。それでも兄は弟が好きだ。兄は職務として人を殺し、弟はやり場のない思いをぶつける様に人を殺す。弟に子供が産まれるが、やがてアメリカの闇の中へ消えていく。それだけの物語だ。派手さは無い。お説教もない。あるのは兄と弟の、それぞれの痛みだけだ。

一番悲劇的なのは、弟のあの思いというのは兄には恐らく一生解らないだろうという事だ。そして弟にとって兄は、一生越えられない人生のハードルであり続けるという事。二人は兄弟だ。血の絆は断ち切る事ができない。それはとても切なく、苦い真実だ。これは、カインとアベルの物語なのだ。

弟は言う。「この世の中には 二種類の人間しかいない。ヒーローとアウトローだ」と。弟にとって兄はいつもヒーローであり続ける。自分はそうなれないという事に苛立ち、コンプレックスが彼をますます追い込み、不幸にする。悪く振る舞う事でしか自分を表現できない、不器用な弟の孤独と寂しさ。彼はいつも何かに怯え、怒っている。そのやり場のない想いとは、自分に対する腹立たしさと、居場所=安息できる場所がどこにあるのか判らない、ひょっとするとそんな場所はどこにも無いのではないかという不安ではないか。
兄にとっては弟はいつまでたっても子供の頃のやんちゃ坊主のまま。弟が自分の姿にどんな気持ちを抱いているのか、知る由もない。だが、兄はどこかで弟を羨ましく思っている筈だ。兄は常に長男としての責任がつきまとう。いつも正しくなくてはならないことへの苛立ち。自身の生き方(生かされ方)に苦痛を感じている筈なのだ。
だから二人は、永遠のアンビバレンツの中にいる。互いが互いを愛していながら、解り合える事のない二人。それがどうしようもなく哀しい。
弟は彼自身が言う通りメッセージなのだ。言葉を持たない彼の行動、それ自体がメッセージなのだ。しかし誰にもそのメッセージを掴まえる事ができない。彼は「インディアン・ランナー」の如く、我々には追いつけない速さで駆け抜けてしまう。誰も追いつけない。それ故彼は走り続けていく。孤独を抱きながら。長い一本道は闇の中に消えてしまう。弟は去っていく。どこまでも広いアメリカという国の暗闇を走り続ける。だが彼の居場所はどこにもないのだ。
川本三郎はよく「心はさみしいアメリカ人」という表現を使う。本作はまさにその通りのお話なのだ。

この映画が終始兄の視点で描かれるのは、彼が典型的なローカルなアメリカの男であり、夫であり、父親だからだろう。兄は淡々と冷静に、自分の周りで起こる出来事を見つめている。弟が戻ってくる。母が死に、父が自殺する。弟に子供が産まれる。弟が人を殺める。彼は誰から見ても善きアメリカ男性であるが、結局何も解決できない。とても常識的な、しかし何も見ていないのと同じであるかのような人間。彼の目の前で起こっている現実とは、"家族"がゆっくりと崩壊していく姿だったのではないか。アメリカン・ドリームが消え去っていく瞬間だったのではないか。

ショーン・ペンが監督デビュー作で描きたかった一点とは、おそらくこの兄の無力感ではないか。どうしようもない現実、そしてアメリカ人に対する強烈なアイロニーだったのではないか。弟の怒りは、このどうしようもない国、アメリカとそこに住む一見善良なすべての人々の対する怒りそのものなのだ。
ショーン・ペンはデニス・ホッパーと親友だという。二人に共通するのはアメリカという国を、自由の国を心から愛し、同時に憎んでいる点だ。この二人のアナーキスト的なアメリカ人の共感は当然の事であろう。長い前ふりで申し訳ないが、本作は傑作である。アメリカ文学を読むのに近い傑作だ。

デヴィッド・モース、ヴィゴ・モーテンセン、共に抑制の効いた良い芝居で、静かに、静かにドラマを進めていくのがいい。特にデヴィッド・モースの哀しげな瞳、ヴィゴ・モーテンセンのぎらついているが寂しげな瞳のコントラストは絶妙だ。脇ながら、まさに西部劇とその後を象徴するかのように死んでいくチャールズ・ブロンソンの重量感が抜群。
まだ出始めのパトリシア・アークエットがいかにもなヤンキーガールを演じ(出産シーン付き)印象に残る。ベニシオさんもちょこっと出ています。

北部の田舎町を舞台に選んだショーン・ペンのセンスは素晴らしい。雪に覆われた冬をゆっくりと見せて「ここが舞台ですよ」と提示しつつ導入していく。
渇いた、冷ややかなカメラ・アイが捉えていく景色の、なんと寒々としたクールさに満ちている事か。撮影は「地球に落ちてきた男」のアンソニー・B・リッチモンドである。名匠である。この辺りの采配も見事。随所に見られる空撮の流麗さ、イメージ・シーンの鮮烈さ。それでいてどこか古めかしさを感じさせる画調のコントラストの妙。堂々たる監督ぶりである。
耳に残る哀切な劇伴はジャック・ニッチェが担当。60年代後半をチョイスした劇中曲のセレクトも素晴らしいので、OSTを見かけたら買って欲しい。特にジャニスの「サマータイム」は超印象的。

「インディアン・ランナー」は異端のアメリカ映画である。ここにある冷静さと静かだがあまりにも饒舌な映像は、孤高の存在として輝きを放ち続ける。何本もあるけど自身の「最高の一作」の中でも頂点に近い場所んにある一本である。