カツマ

エレファントのカツマのレビュー・感想・評価

エレファント(2003年製作の映画)
4.5
平穏な日常が打ち破られる。忍び寄る暴力、理不尽な死神の鎌が銃という形を為して、ある溌剌な日々を永遠に戻れぬエアポケットの底へと放り込んだ。静寂は少しずつ浸透し、狂気の爆発を淡々と待ち続ける。すれ違う者、直面する者、絶望的な状況に追い込まれる者、それぞれの空に殺伐とした雲が流れ、もう戻れない時間を思わせた。

ガス・ヴァン・サント監督が1999年にコロラド州で起きたあまりにも悲壮な惨劇、コロンバイン高校銃乱射事件の顛末をドキュメンタリータッチに映像化した衝撃作。カンヌ国際映画祭のパルムドールと監督賞をダブル受賞する、という快挙を成し遂げ、当時のミニシアターランキングでもトップを走った作品だ。生徒役は素人で固められ、彼らの生の会話をそのまま台詞として採用。そのために生まれたリアル感が本作の肝であり、平和な高校生活が突如として修羅場と化す、という恐るべき落差を克明に刻みつけた。

〜あらすじ〜

その日の朝、ジョンはコロンバイン高校へと車で向かうも、父親は酒気帯び運転のためフラフラで、結局はジョン自らが運転して高校へと到着する羽目になった。とりあえずジョンは酔った父親を残して高校へと入った。
一方、写真部のイーライは道端でカップルを撮影しては高校の映写室で現像作業に移っていた。何事もないかのようにすぎる時間。イーライは擦れ違い様にジョンと鉢合わせ、彼にもまたシャッターを向けた。
イーライの前でポーズを取ったジョンはその後校舎を出て外で待たせていた父親の元へ向かった。だが、その途中、彼はアーミー服を着た二人の生徒と擦れ違い、そのうちの一人から『これから地獄になる』という言葉を聞いた。
その言葉を吐いた生徒の名はアレックス。彼はそこに至るまで果たしてどこにいて、何をしていたのか。ピアノの旋律と共に時間軸は巻き戻っていった・・。

〜見どころと感想〜

冒頭の空、終幕の空。不穏な陰を落とすそれらはどうしても暗く死のような色をしていた。そんな暗幕のような景色を常に纏いながら、いつか待つ悲劇への階段を淡々と登らせるような作品だ。それだけにひたすらに日常生活を送っている生徒たちの姿を追うだけで緊張感に包まれ、彼ら彼女らを追いかけるようなカメラワークがひたすらに緊迫感を助長する。それぞれのキャラごとに時間軸はズラされていて、擦れ違いと交錯により命を落とす者、助かる者の運命が皮肉なほどに分かれていった。

前述した通り生徒たちは皆素人であり、3000人の高校生の中からオーディションで選別された。アレックス・フロストやジョン・ロビンソンらはその後も何本かの映画に出演し、映画業界での活動を続けている。

題名の『エレファント』には様々な意味が込められており、なかでも『Elephant in the Room』という慣用句から取られている説は有名。この慣用句の意味は『大きな問題があるにも関わらずそれを見て見ないふりをする、または語ろうとせずに過ごすこと』を指していて、今作におけるアレックスの存在だったり、銃規制の現状だったり、いくつかの要素において応用されている。アラン・クラークの同名映画からの引用も指摘されており、一方向的な意味のタイトルではないのだけは確かだろう。

銃による虐殺、鬱屈が引き起こす狂気。それらの問題はテロリズムなどと絡みついて今もまだ大きな社会問題として横たわっている。この映画はその事実を生徒目線で映像化し、日常に潜む悲劇としての実像を浮かび上がらせた。ほんの少しのほころびで日常は簡単に崩れてしまう。だからこそ、不穏な空を繰り返さないよう、この映画は静かなる警鐘を鳴らし続けるのだろう。

〜あとがき〜

今作は実に15年ぶりくらい、二度目の鑑賞です。当時はミニシアターランキングでも首位を快走していて大変な注目作だった記憶があり、当時のベストムービーの一本だったと反芻されますね。昨年見たウトヤ島の映画は今作を参考にしているのかな、と思ったり。久々に観ると日常の生徒側から聴いたセリフと、犯人側が発したセリフは同じはずなのに和訳が異なっていたりといくつかの気付きがありました。

自分をミニシアター系の映画館へと引きづりこんだ一本ということで思い入れもあり点数は高めにつけさせてもらっています。
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