朱音

ゴジラの朱音のネタバレレビュー・内容・結末

ゴジラ(1984年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

いわゆる平成ゴジラと呼ばれるシリーズの元祖となった作品。
昭和ゴジラシリーズが下火になり一旦打ち切られて実に9年振りに制作されたゴジラ生誕30周年の記念作品。
物語の設定上もまた1954年にゴジラが消滅して30年経ったいま(当時の1984年)復活するという仕掛けになっている。
本多猪四郎監督の初代『ゴジラ』へのオマージュが熱い作品であり、これまでのVSものと違いゴジラ=人類の敵として、人間が、国が、どう団結し、知恵と策を講じて未曾有の脅威とどう立ち向かうのか、それらをきっちり描いている点でも、後の『シン・ゴジラ』にも連なる源流の系譜である。
加えていえば核の脅威、それがもたらすもの、をテーマとしている点だけでいえば、より初代への原点回帰が感じられる。

というのはWikipediaでも見ればどこにでも書いてありそうだが、私からすると本作はそれらを踏まえた上でもそれほど褒められる要素のない、退屈な映画だった。
というのもモンスターパニック映画において最も重要なエンタメ要素である、街が、大都市の建造物や交通機関が、家々が、人々の営みが、悉く蹂躙され破壊し尽くされる様。という極めて非日常であり、また不謹慎でもあるその欲求をいかに満たしてくれるか。であると私は思うのだが、本作はそれがかなり物足りない。不完全燃焼である。
103分ある本作の中で、ゴジラが全身で登場したのは僅か2回である。
それどころか、途中から脅威は眠ったゴジラではなく、ソ連が誤発した核ミサイルに移ってゆく件に至ってはもはや眠気を禁じ得ない。
白眉となる筈の……自衛隊との戦闘シークエンスはなぜ夜にしたのだろうか、あまりに地味すぎる。

人間サイドの今作の見所は日本政府の首相が今作では見事なリーダーシップを発揮している点である。
アメリカとソ連の大使を前にどっしりと鎮座し、両首脳に直接核の使用を待つように制す。いくらフィクションであっても気持ちがいい。
最後に首相が見せたゴジラへの哀歓は何を示していたのだろうと考えるも腑に落ちない。妙にしんみりと映画は終わり、場違いなエンディングが流れる。
主要の4人のキャラクターには誰1人共感も愛着も湧かなかった。役者さん各人のお芝居というよりは各キャラクターの作り込み、見せ方、台詞といったディレクションとしての演技演出が弱い。その最たるものが武田鉄矢さん演じるキャラクターで、彼は明らかに映画から緊張感を削いでいる。


本筋とは無関係だが、日本の領海近郊でソ連の最新鋭原子力潜水艦がゴジラによって沈められたことにより、ソ連はこれをアメリカの攻撃だとみなしてすぐさま軍事行動に移ろうとする、今となってはあまりに笑えない展開にゾッとする。

CGと特撮の分岐点に位置する時代である。
東京のビル群を再現したセットは古き良き美しさがある。一方でスーパーXというネーミングも見た目も残念な模型や、最序盤に登場した巨大フナムシなどのクリーチャーもチャチに見える点が目立つ。
そしてCG黎明期のゴジラの熱線もスーパーXのビーム砲(?)も画面から浮いている。

核ミサイルが成層圏で迎撃された後の紅く染まった空の不気味さ。
そしてラストの噴火口へと沈んでゆくゴジラ。等印象に残る美しいカットがいくつか観られた。
朱音

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