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バッタ君町に行くのshxtpieのレビュー・感想・評価

バッタ君町に行く(1941年製作の映画)
4.0
これが1941年のアニメーションなのか、と衝撃を受けた。もちろん前年の1940年には『ファンタジア』があったわけだが、それでも。

宮崎駿は『バッタ君 町に行く』について、「ワーッって沸き立って動いているのがどれほど描くのが大変かと思い、すごいエネルギーだなあとフライシャーに注目するようになりました。僕はフライシャー風のばかばかしいのも好きな人間ですから」、「アニメーションの、初源の何とか動かしたい、世界は動いているから動かしたいんだという、そういうエネルギー」といった推薦コメントを寄せている。まったくもってそのとおりで、主人公のホピティはもちろん、ほかの虫たちが一緒くたになった時の集団的な動き、あるいは、たとえば、洪水で不可抗力的に押し流されていくシーンのうねりなどには、アニメーションにしかない、アニメーションそのものの力がある。

監督デイヴ・フライシャー、製作マックス・フライシャーというフライシャー兄弟は、『ベティ・ブープ』や『ポパイ』、宮崎駿が引用したことで有名な『スーパーマン』などをつくったことで知られているウォルト・ディズニーのライバル。。この『バッタ君 町に行く』は、「1941年暮れ、真珠湾攻撃の直後にアメリカで公開された。混乱のさなか興行はふるうことなく、兄弟はスタジオを去り、事実上の閉鎖となるが、悲運の名作アニメーションとして、今日でも根強いファンがいる」とのこと。ミュージカルとしての側面も強く、音楽はあのホーギー・カーマイケルを筆頭に、フランク・ローサー、リー・ハーラインが手がけている。

冒頭から、セットバックなのか、模型をつかったような特撮っぽい街の画に驚く。カメラは宇宙から都市へ、そして虫たちが潜む草むらへと寄っていくのだが、この超越的な眼差しに『バッタ君 町に行く』の思想のようなものが表れている。つまり、「人間が虫みたいに見える」という衝撃的なラストのせりふにある、人間批判的な、客観的な態度だ。

また、都市化への批判や文明批判などがおおいに含まれていて、人間たちの行為や行動(煙草を捨てたり、土を踏み荒らしたり、水を撒いたり、超高層ビルを建てたり)によって虫たちがすみかを奪われて右往左往する様の描写の響きは、『ウォーターシップダウンのうさぎたち』やフレデリック・バックの諸作にこだましている。また、それらは、『バグズ・ライフ』、『トイ・ストーリー』、『借り暮らしのアリエッティ』に、直接的に繋がっていることだろう。

ロトスコープによる人間の滑らかな動きの映像にもびっくりするが、対比的に虫たちはディズニーっぽい戯画的なアニメーションで徹底的に表現される。それゆえ、逆に、人間たちに人間みがないというか、人間たちが非感情的で不穏、冷酷で暴力的な存在に映る(虫たちが人間たちのことを英語で“human ones”と言っているのが忘れがたい)。

虫たちは、あっちに行ったりこっちに行ったり、狭く限られた環境の中で悪戦苦闘を強いられる。虫たちは安住の地を見つけられず、『バッタ君 町に行く』は全編を通して安心がサスペンドされた落ち着かないドタバタコメディで、だからこそ、陳腐な表現をすると、ハラハラドキドキしどおし。そして、その極点が、終盤のビルの工事現場をのぼっていくシークエンスだろう。リズミカルな演出と展開、激しいアクション、きまった構図やカメラワーク、虫と人間の鮮やかなコントラスト……実に見事だ。

ホピティはやることなすことがうまくいかない、頼れる兄貴のようでいて、ちょっと間抜けな存在として描かれている。ヒロインのハニーはかわいらしく美しいが、受動的で、意思のない女性として映され、保守的なジェンダー観が表れている。ビートルは、虫たちの足を引っ張りまくって、自らの利益を得ようとする、『イワンと仔馬』の馬長官のような、いかにもな類型的な悪役。
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