馬井太郎

明治天皇と日露大戦争の馬井太郎のレビュー・感想・評価

明治天皇と日露大戦争(1957年製作の映画)
4.0
初めて映像化する天皇役を誰にするか、クランクインの前夜にようやく決まった、というエピソードが残っている。監督渡辺邦男は、明治天皇・嵐寛寿郎(アラカン)しかいない、彼以外にこの役は務まらない、と固執した。アラカン本人は、天皇役などできない、と悩んだが、思い切って、前日の夜、電話を入れた。「お引き受けします」。
ウィキペディアによると、アラカン撮影所入りには、ハイヤーを手配し、関係者が揃って出迎えた、と書かれている。本人曰く、役作りに大いにその気にさせられた、と後日談で感謝の意を明かしている。
天皇ご本人の写真?肖像画?と見比べると、アラカンは、瓜二つ、そっくりである。確かに、彼以外のキャスティングはなかっただろう。渡辺邦男の気持ちがよくわかる。
そのせいもあってか、映画は、大ヒットした。どこの映画館も押すな押すなの超満員、小学生だったわたしも、父親に連れられて観に行ったものだ。しかし、小学生には、難解で、辛かった。御前会議と戦闘場面しかない、といってもいい全編2時間弱、戦場シーン以外は、退屈・よくわからなかった。
いま、あらためて観ると、天皇はもとより、元老はじめ側近議員たちは、全員、鼻あるいは顎の下に髭をたくわえている。明治の風俗なのである。

模型ではあるが、戦艦のすべて(バルチック艦隊も)が、真っ黒い煙を排出している。釜に石炭を補給するシーンで、なるほど、思った。横浜・新橋間で初めて走った汽車を「陸蒸気」(おかじょうき・陸蒸気機関車)と言った。当時の戦艦は、燃料石炭の蒸気船だったのだ。

日清日露で連戦連勝した大日本帝国は、これに悪乗りして、軍事勢力を伸ばし、軍閥政治のもと、太平洋戦争へと、自爆の道を進むことになる。

すでにこの世を去った懐かしい俳優、若かった俳優、髭面に識別が苦しむところも、また一興ではあるが、女優陣にいたっては、全く、わからない。ほとんど、出る幕なしだった。

付録:①いくつか謡われる「詩吟」?・・・当時の流行だったと思うが、いま、耳にしても、心が動かない。(好き嫌いの問題か)

②アラカンは、芸者遊びが大好きだった。気に入った芸者と暮らしたり、妾として囲ったりした。(結婚していないので、正確には、妾、とは云わないだろうが)。
新しい芸者をみつけると、すぐに別れた。手切れとして、家一軒をも与えた、という。そういう繰り返しで、一生、妻を持たなかった。死ぬときは、裸一貫、これが、平和でなによりではないだろうか。
人は、見かけによらないものである。・・・終わり。