Ricola

愛人ジュリエットのRicolaのレビュー・感想・評価

愛人ジュリエット(1950年製作の映画)
3.6
人は、辛い現実から逃れるためにフィクションを用いるものである。
フィクションの世界で自分の理想を描いてそこに浸ることで、現実の苦しい状況を乗り越えるヒントを得たり、その苦しみを軽減しようとする。
しかし、この行為がむしろ現実の自分を追い詰めることにもなってしまうのだろうか…?

不思議な夢の世界、忘却の彼方と繋がる扉の向こう側に吸い込まれていくミシェル(ジェラール・フィリップ)。
現実世界と非現実世界を行き来されるなかで、2つの世界でリンクする要素が残酷かつ美しく響き合う。


誰も自分たちの住む村の名前を知らないし、自分の夫が誰だかさえ覚えていない人もいる。
そんな記憶のない人々が住む村では、記憶のある訪問者ミシェルにやっかむ人も出てくる。この村の王様でさえ自分が何者なのか知らない。彼らにとって、「記憶がある」ことは奇妙なことなのだ。

ミシェルはその世界で、現実での彼の恋人であるジュリエットに出会う。
だけどこの世界の彼女は彼を知らない。
もはやミシェルの記憶が彼女にとって、「真実」なのかどうかも怪しいほどだ。
彼女にとって思い出とは「見つける」ものであるため、彼女自身が過去の体験に基づいた確証のあるものではないのだ。
とは言っても、思い出はやはり彼女にとって大切なもの。

扉というモチーフは、この作品においてかなり重要な要素であるのはたしかだろう。
扉とは現実と非現実を行き来する境目であり、ひとたび向こう側に足を踏み入れれば全くの別世界が眼下に広がる。
重々しい扉が開くと、光が漏れ出る。
暗い現実世界に光が差し込むのだ。
また、扉の向こう側を見た人物の表情をまじまじと映し出し、期待感や驚きをゆっくり提示する。

1枚の扉を介しただけで、違う世界へと人々は誘われる。
これはもはや人類の夢ではないか。
いつでもその扉さえあれば、現実の苦しいことから逃れることができるのだから。

ファンタジー作品ではあるが、ただ単に理想郷を描くことを肯定するわけではなく、生きることの難しさとそれを乗り越えるためのヒントを、現実と非現実という相反する二項を軸に残酷かつ希望を含ませて提示してくれる作品だった。
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