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フランス式十戒のFilmomoのレビュー・感想・評価

フランス式十戒(1962年製作の映画)
4.0
①『フランス式十戒』はフランス映画界の巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエの通算56本目。8つのエピソードにわかれたオムニバス連作で、悪魔の化身の蛇が各エピソードのつなぎに現れ、いわば狂言回し役。1つ目はミシェル・シモンの存在感と自然すぎる演技が堪能できる「なんじ、神の名をみだりに呼ぶなかれ」。シモンは修道院に努める雑用夫で、口癖が「神サン、南無三」=Nom de Dieu! これはOh My God!みたいな感じ。この口癖で修道院長に怒られている姿がかわいい。そこへ司教がやってくる。この司教、実はシモンの幼馴染と分かり、二人はたちまち昔話に花が咲く。なんということはないエピソードなのにミシェル・シモンの巧さが凄い。次が「なんじ、姦淫するなかれ」。若者がクラブに通いつめ、ヌードダンサーのタニアに入れ込む。ところがタニアは契約切れで現れない。支配人に直談判して居所を聞こうとするが追い出される。なんとかダンサーたちから聞き出して彼女の家に向かうが・・・。このエピソードは2006年に発売された紀伊国屋書店版DVDには収録されていない。それまで世界に流通していたマスターテープは倫理規定によりこのエピソードが丸ごとカットされていたからだ。見事なプロポーションのヌードダンサーが舞台でストリップをするシーン、青年が楽屋を訪れると裸同然の女性たちの姿がドアごしに見えるシーン等が引っ掛かったと思われる。「なんじ、殺すなかれ」。シャルル・アズナブール扮する元神父と町のボス、リノ・ヴァンチュラの対決。アズナブールの熱演とヴァンチュラの圧倒的存在感で屈指の仕上がり。「なんじ、人の持ち物を欲するなかれ」。フランソワーズ・アルヌールが、金持ちの愛人メル・ファーラーからもらったダイヤの首飾りを何とかして自然に手に入れたようにするため、夫に対して芝居を打つが、それが皮肉な結果を生む。このエピソードでアルヌールの綺麗で引き締まったヒップが映る。こっちのヌードはOKだったようで紀伊国屋盤でも見られる。「われはなんじの主なり、われを唯一の神として礼拝すべし」。フェルナンデル扮する「神様」が山小屋を訪れ、老夫婦に奇跡を見せる。かなりシニカルな話で、取りようによっては神を冒涜していると見なされそうな話だが、この話は大変面白く、作家の現代性が感じられる。この時代でもこういうオチを考えられたんだなと。「なんじ、父母をうやまうべし」。アラン・ドロン青年が父親からお前の母親は本当の母親じゃないと告白される。本当の母親は女優のダニエル・ダリューで、ドロンは意を決して会いに行く。自分が有名な女優の隠し子だったと知り、ドロンは浮足立つがダリューはダリューでドロンに対し、衝撃的な告白をする。「なんじ、盗むなかれ」。ジャン・クロード・ブリアリ青年は勤務態度を注意され銀行をクビに。その直後窓口で強盗に遭い、大金を渡して銀行に復讐し、その後独自に犯人を追ってその金を奪おうと計画するが・・・。当時のヌーベルバーグを意識したエピソードになっている。「なんじ、安息日を聖とすべし」。最初のエピソードの2人が再び登場し、物語を締めくくる。②デュヴィヴィエの軽やかな手腕で、十戒で問われる「やってはいけないこと」を次々に破ってしまう人間のおかしみ・悲しみが描かれていく。どのエピソードもエスプリやアイロニーが利いていて脚本がよく練られている。その脚本にはデュヴィヴィエ含めて9人の作家が参加している。そして当時のフランス映画界を代表するような俳優女優がズラリと並び、言ってみれば何年かに1本出てくるお祭り映画だったようだ。③どのエピソードも優れた短編映画として成立しているが、「なんじ、盗むなかれ」はヌーベルバーグ俳優ジャン・クロード・ブリアリを主人公にヌーベルバーグを意識した作りで、蛇の悪魔にも「ヌーベルバーグ万歳!」と言わせているのがおかしい。主人公のブリアリは「今風」の青年で、遅刻→解雇→強盗に加担→犯人捜索→金を逆強奪→強盗が合流→金の奪い合い→オチの流れがまるでトリュフォーやゴダールの初期作品を見ているように流麗でスマート。ゴダールの『男の子はみなパトリックという名前である』(57)みたいな感じ。とにかく感覚が若い。そうかと思うと「なんじ、父母をうやまうべし」は、人の冷たさと温かみが同居する、エスプリとアイロニーが利いた一篇で、結末のドロンの表情にいろいろと考えさせられるものがある。9人も作家が集まるとこれだけ豊かな物語が生まれるのだなあと思う。
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