Filmomo

バタフライはフリーのFilmomoのレビュー・感想・評価

バタフライはフリー(1972年製作の映画)
4.3
①『バタフライはフリー』はレオナルド・ガーシュによる舞台劇で、主要登場人物は3人。自由奔放なヒロイン、目の見えない純粋な青年、そして子離れが出来ていないその母親の児童小説家。この時代の舞台劇にマート・クロウリーの『真夜中のパーティー』があって、LGBTをテーマにしたものが話題を呼んでいたと思うが、こちらも「ゲイ」「レズ」「乱交パーティ」といったワードが出てくる。私は日本でも上演された舞台劇を見たわけではないが、台詞の多さに少々閉口しつつも、巧みに映画化されている演出と脚本には感じ入った。ゴールディ・ホーンの演技が非常にナチュラルで、演技に力が入っていないのが素晴らしく、相手役のエドワード・アルバートも繊細な全盲青年を見事に演じていた。アカデミー賞助演女優賞を受賞したアイリーン・ヘッカートは舞台版でも同じ役をやっていたというが、私の見立てでは、オスカーはヘッカートよりゴールディー・ホーンに行っても良かったのではないかと思う(ホーンはゴールデングローブ賞ノミネート)。ヘッカートも素晴らしいが、どうしても『ジプシー』のロザリンド・ラッセルを思い出させる(ラッセルはゴールデングローブ賞受賞)。似た感じがする。悪いと言うわけではないが、オスカーものの演技とまでは思えない。72年の助演女優賞なら『ポセイドン・アドベンチャー』のシェリー・ウインタースが相応しいと思っている。②この映画の構造は、A:全盲青年のドン B:ロンの母親ベイカー夫人 C:元ヒッピー娘のジルの3人によるリレー形式の会話劇となっていて、大まかにC⇔A、A⇔B、B⇔C、A⇔B、A⇔Cの5部構成である。まず、C⇔Aは二人が意気投合し、一夜を共にする幸福感いっぱいの序盤。そこにBが登場し、Cは今夜のパーティの約束をして隣室へ退出、AB間の愛憎入り混じる会話へと流れ込む。Aが退出して次にBC間の価値観のぶつかり合いに。この時映画では部屋を出て、サンフランシスコの有名な料理店「ペリーズ」へ。BCが別れ再びAB間の会話に戻るが、Bの態度が一変し、Aに不信感が増す。AはBとともにCの帰りを待つが、2時間経っても現れない。ようやくCが別の男(自分がオーディションを受けに行った劇団の演出家)を連れて登場、男と共にCは去り、Aは敗北感を味わい・・・。③この登場人物のバトンタッチが非常に巧く、流れるように進んでいく物語に淀みが無い。同じく舞台劇の『デス・トラップ/死の罠』『探偵スルース』も見事だったが舞台劇を映画化する時は、「客」が違うことを意識して、ストーリーテリングを重視し、飽きさせない「衝突」や「飛躍」「収斂」がいる。映画は絵で説明するものであり、台詞が多いと観客は非常に疲れてしまう。本作は主人公の青年が全盲ということを利用して巧く絵の中に注意を誘う仕掛けを用意しているのが面白い。前半出ずっぱりでゴールディ・ホーンが下着姿というのも、観客を釘づけにするし、その前半と終盤を繋ぐパーティの約束や、「ドニー・ダーク」という、ベイカー夫人がドンをモデルに書いた児童小説の主人公の話が、ある種のメタファー(「ドンにとっての古き良き幼年時代」「巨像と実像」「ベイカー夫人にとっての母子愛」「理想と現実」「過去との決別」)となって、台詞の密度を高めていくのが素晴らしい。舞台劇の映画化作品は多くあれど、ゴールディ・ホーンの可愛らしさと、実は緻密な台詞と絵作りに感心したという感想ではこの映画が抜きんでいたと思う。
Filmomo

Filmomo