暗闇に包まれ、街灯がぼうっと灯るころ。
わたしは太宰さんの短編集をゆっくりとひらいて、「貨幣」というお話を読むことにしました。
一枚の百円紙幣が どのような人の手に渡り、なにをみたのかを語る10ページ。
あるときは神棚にあげられ、またあるときは自殺する医学生に同行。戦時中の日本の闇屋を渡り歩くことになります。
そうしていくうちに、貨幣はこう思うのです。
「自分だけ、或いは自分の家だけの束の間の安楽を得るために、隣人を罵り、あざむき、押し倒し、まるでもう地獄の亡者がつかみ合いの喧嘩をしているような滑稽で悲惨な図ばかり見せつけられてまいりました。けれども、私はこのように下等な使い走りの生活においても、いちどや二度は、ああ、生れて来てよかったと思ったこともないわけではございませんでした。」
バルタザールもこんなことを考えていたのだろうか。
人間のことが憎らしかっただろうか。
それでも愛していたのだろうか。
生まれたばかりのロバ・バルタザールは少女マリーのもとにやってくる。
それから10年が過ぎ、はなればなれになっていたマリーとバルタザールはふたたび同じ屋根の下で暮らすことになる。
だれが主人になってもこき使われ、ただ従うしかないバルタザールはいつも涙を浮かべていた。
はじめてサーカスの、ほかの動物たちを目にする場面。
トラやクマやチンパンジーは叫んでいた。
けれど 象はバルタザールと同じ目をして、しずかにじっとたたずんでいた。
檻で隔たる空間には、二つのかなしみがあった。
ひつじの群れのなか、牧羊犬の声が響く。
バルタザールの瞳には、淡く、悲哀の色が滲んでいた。