あなぐらむ

ステート・オブ・グレースのあなぐらむのレビュー・感想・評価

ステート・オブ・グレース(1990年製作の映画)
5.0
最高の殴り込み映画である。公開は銀座シネパトス、たった二週間だったのが信じられない(後日、池袋シネマ・ロサで再映がありそちらも行った)。
スタイリッシュにしてロマンティック、ハードさと甘さ、ビターな甘さが絶妙の味わいを見せる、ギャング・ムービーかくあるべし、といった仕上がりの一本だ。甘っちろいとか、まとまり過ぎとか、かく言う輩もおるだろう。しかしその技巧の確かさ、ショット選びの巧みさ、演者陣の充実という点で本作はほとんど孤高の一作と言っていい。映像作品としてのアート性、娯楽性のバランスも素晴らしい。

ストーリーとしては数多ある潜入捜査ものとギャングストーリーのミクスチャーなのだが、本作の個性はニューヨークのヘルズ・キッチンというアイリッシュ達の苦境をその基盤に置いている点であり、そこに暮らすしかない者の辛さ悲しさを物語の中で描き、ギャングものにはついて回る「非情な描写」にはっきりと意味を付加している事だろう。彼らは生きていく為に「非情」にならざるを得ない。たとえ自分の幼馴染であろうと弟であろうと、手に掛けてしまう。一族が、或いはコミュニティを生存させるための非情さ。これは今も起こっている悲劇ばかりの世界と地続きの物語である。

アイリッシュ・マフィアに潜入する主人公、ショーン・ペンもまた、非情の世界にいる。悪を潰す職務の為に、かつての親友(ゲイリー・オールドマン)を裏切らなければならない痛み。誰も救う事ができない悲しみ。結果的に彼は職務を捨て、自分のコミュニティにも背を向け復讐(もはや何を復讐するかも分からない)に向かうのだが、それを遂げた所で、残るのは虚無感だけだ。人物達の心の苦みがあひしひしと伝わる、簡潔にして起伏に富み、詩情ある巧緻な脚本だ。クライマックスにセント・パトリック祭(ニューヨークに住むアイルランド人のお祭り)を持ってきたのがまた見事だ。執筆はデニス・マッキンタイア。

主演の潜入捜査官を演じるショーン・ペンが素晴らしい。粗暴さと繊細さを併せ持つ感じの若き警官を、やるせなさを滲ませる抜群の芝居で見せてくれる。親友のアイリッシュ・マフィア役にまだシドナンとかやってた頃のゲイリー・オールドマン(@ロン毛モード)の突き抜けた荒ぶるキャラクターと激情を露わにするダイナミックな芝居も物語を引き立てる。この静と動の感情のぶつかり。そしてこのはねっ返りの兄で小さな「ファミリー」のボス、エド・ハリスの冷酷さを前面に出す演技も、性格俳優である彼ならではの裏にある「葛藤」を感じさせ出色だ。上り上司だったジョン・タトゥーロがショーン・ペンの上司役で出ている。
ヒロインには、本作がきっかけでショーン・ペンと結婚することになるロビン・ライト。抑えた芝居でこの静かな激情の物語を彩る。セント・パトリック祭の賑わいの中に独り立つ彼女の悲哀。

監督のフィル・ジョアノーは当時29歳。U2のドキュメンタリー「魂の叫び」で注目された映像派で、劇映画は本作がデビュー。非常に抑制の効いた、ベテラン監督のような演出ぶり、銃撃シーンに見るスローモーションの使い方、カッティングの鋭さは、これがキャリア・ハイだったんじゃないか?という仕上がり。実際、「愛という名の疑惑」「ヘブンズ・プリズナー」ともこの作品には及ばなかった。この「最高の殴り込み」はYoutubeでも切り出されてアップされているので、その震えがくるような映像と編集(フルショットの望遠の画→バーに入室からの銃撃の緊張感→セント・パトリック祭。情緒と活劇がここでは実現されている)をそこだけでもご覧あれ。

撮影は名手、ジョーダン・クローネンウェス。「ブレード・ランナー」の人だが、本作もタイトルバックでは極端に粒子の粗い画を使い、全編をブルートーンにまとめあげて映像に艶を出す事に成功している。この人の撮る画は本当にクセになる。
そして忘れてはいけない、劇伴はこの人、エンニオ・モリコーネ師匠。哀愁漂うメインテーマ、殴り込みシーンの本当に切なくなるような楽曲が映画を大いに盛り上げる。演技派揃い踏み、スタッフも考えうる最高のメンツのこの作品が、面白くない訳がない。深作欣二の「日本暴力団・組長」が好きな人は全員見るべし。