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アメリのkuuのレビュー・感想・評価

アメリ(2001年製作の映画)
3.8
『アメリ』
原題Le fabuleux destin d'Amélie Poulain.
(アメリ・プーランの素晴らしい運命の意)
製作年2001年。上映時間121分。

キャッチコピーは
『幸せになる』
パリ・モンマルトルを舞台に、パリジャンの日常を描き、フランスで国民的大ヒットを記録した。
ジュネ=ピーエル・ジュネ単独の初長編。
セット撮影の多かった彼が、今回はロケ撮影で後加工した作り込んだ映像を展開。
美術はアリーヌ・ボネット。
主演オドレイ・トトゥの出世作にもなった。

神経質な両親の元で育ち、空想の中で遊ぶのとこっそり悪戯するのが得意になったアメリ。
22歳になり、モンマルトルのカフェで働く彼女は、青年ニノに出会って心ときめくが、どうしたらいいか分からず悪戯を仕掛ける。。。

今作品にはなんか緑、黄、赤を感じるなぁと思たら、監督はブラジルの芸術家フアレスマチャドの絵画作風に触発されてるそうです。

扨、本作品ですが、大きく分けて3つのパートに分かれるかな。
仮に第1部とするけど、主人公アメリー・プーランの誕生と生い立ちが描かれてる。
ジャン=ピエール・ジュネは、信じられないような速さで、運と運命をもてあそぶような、まったくユニークな雰囲気を作り出してました。
アメリの受胎から始まり、子供の人生における重要な出来事やトラウマを描く。
チョイ大げさながら、疑似ドキュメンタリーを見ているような気分になりました。
多くの状況や説明の不条理さは非常にユーモラスで描く。
編集とカメラワークがその重要な要素となっていた。

第2部部分としては、アメリはパリで一人暮らしをする。
この家とそこに住む多くのギャラは、『デリカテッセン』(1991年ブラック・ユーモア映画)を個人的には彷彿とさせたかな。
ただ、暗い雰囲気は、より穏やかで現実的なパリの住人の描写に置き換えられてた。
この部分じゃ、ドラマの要素が大きくなり、特にアメリが大都会に住む人々の孤独を見せてくれる。
また、運と運命のゲームが逆転するんやなぁ。
出来事は彼女だけに起こるんじゃなく、アメリは世界における自分の存在が他の人にも影響を与えることを発見する。
彼女は出来事に影響を与え始める。
彼女の周りの良い人には善報を与えて、励まし、ほんで、悪い人には多少なりとも罰を与える。
この部分じゃ、映画のペースはかなり遅くなって、いくつかのシーンは繰り返しになってんのは残念やった。
例えば、食料雑貨店の2回目の罰など。
そのため、この部分をもっと編集して削除した方が得策なんちゃうんと今結論に達してるかな。

第3部としては明らかにアメリ自身の運が中心となってて、アメリと恋人になりそうなニノ(嵐のニノではないよん)との間で再び運試しのゲームが行われる。
彼女は彼と猫とネズミのゲームをします(逆もまた然り)。
このパートのスタイルは、前2パートのミックスであり、両方の良いところを持ってました。

今作品のストーリーテリングは非常に想像力に富んでたし、大人のための不条理なおとぎ話のように感じられます。
オードリー・トトゥは、誰もが過小評価する天真爛漫で内気な少女、アメリを完璧に演じてたし、全体的なストーリーは、ある特定の良い選択や悪い選択が人生を決定づけるような、人生の小さな瞬間についてかな。
状況(ここでは主にアメリの影響に抽象化されてます)に影響されて機会を失うこと、そして後にはその記憶(コレクションボックスと写真がその理由)によって人生が決まることです。ここでは、時間の要素が重要になるかな。
また、全体的にノスタルジックな雰囲気を醸し出してるし、ロマン主義の適切な文脈の中じゃ、非常にロマンティックな映画とも云える。
(大衆の想像力の産物は、教養ある人々の想像力の産物と同等かそれ以上であるという側面がある)
んで、今作品の欠点は、上映時間の長さかな。 
less-is-more
全てに当てはまることじゃないけど、
『少ない方が豊かである』て原則が今作品にはあてはまるやろし、それに従えば、『アメリカン・ビューティー』と同等の規模の映画を作ることができたんちゃうかなぁと。
さらに、物語が断片的に語られる方法(ドキュメンタリー・スタイルに特有のもの)も、必ずしもうまく機能していないかな。
加えて、テンポが速すぎたり、遅すぎたりもする。
しかし、悲しいことや不条理なことに対して非常に優れた感覚を持つユニークな映画製作者によって作られた、面白くユニークな映画でした。
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