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洲崎パラダイス 赤信号の東京キネマのレビュー・感想・評価

洲崎パラダイス 赤信号(1956年製作の映画)
4.2
本当に面白いねえ。毎度毎度同じことしか書いていませんが、この時代の日本映画のクオリティーの高さって一体何なんでしょうか。このレベルの映画を量産していた国なんかどこにも無いんじゃないですかね。イタリアのネオ・レアリズモも、フランスのヌーベル・バーグも、ハリウッドのニューシネマも全く敵いませんね、本当に。私の中では世界最強の帝国陸海軍を持っていたのに戦争に負けたことと、こんなに凄い日本映画が20年もかからずにうん○になってしまったのって二大不思議なんです(笑) あんまり考えても解らないんで、まあ深く考えないようにしてますが。

話はどうってことないんですよ。足抜きしたパンパン(新珠三千代)とヒモ(三橋達也)、辿り着いたのが洲崎遊郭の川向かい、そこでどうしたもんかと考える。ヒモの方はこれがまたクズの見本みたいでどうしようもない。“二言目には死ぬ、死ぬって・・・人間死ぬまで生きなきゃならないんだからね!”と女に葉っぱをかけられる始末。「洲崎パラダイス」の看板の下、あっちに行けば元の木阿弥、こっちに留まったって何にもありゃしない、どうしようかねえの思案橋。そこで女は近くにあった一杯飲み屋に住込み、ヒモの方はそば屋の出前持ちになります。しかし、女の方はそもそも堅気になんかなれない性分で、新しいダンナさんが出来ちゃった。それですったもんだのお話です。

オープニングから素晴らしいドリー撮影ですし、セットとロケの差を全く感じさせません。砂利トラが右往左往して埃っぽいんですが、東京の街がダイナミックに変化してる感じも美しいです。川島雄三も凄いんでしょうが、見事な映像設計です。

新珠三千代も何か下半身剥き出しって感じの芝居が色っぽいですし、何しろこの時代の空気感が面白いですね。公開時が売春防止法が交付された年(1956年)ですから、この風景は直ぐ無くなるだろうという確信があったんでしょうね。センチメンタルな寂寥感が漂ってます。

こういう時代の変わり目の、時代に取り残された男女の物語なんですが、全く悲壮感がありません。金と色にどん欲で、みんな好きなことをやってる感じですし、成るようにしかならないよ、という諦観みたいなもんがあるんですね。現代の方が明らかに豊かになっている筈なんですが、何故かこの当時の日本人の方が幸せそうに見えます。『ALWAYS・・・』のような嘘くさい世界ではなく、生身の日本人を感じます。

そう言えば、今の若い人はパンパン(これは決して差別用語ではありませんよ)なんて言葉は知らないですよね。日本人て昔からこういう擬音の符丁がお得意で、面白い言葉が沢山あったような気がします。日本人は「街娼」なんて正面切って蔑むような下品な言葉は使わないんです。パンパンていうのは、ずばりその行為の音から連想した言葉らしいのですが、パン二つで買えた(つまりパンパン)、っていう話もあって真相は解りません。外人専門が洋パン、日本人専門が和パン、面白いところでは、米軍キャンプで覚えたデタラメ英語をパングリッシュなんて言ってました。按摩に化けたパンパンはパンマ。旅館に泊まって按摩を呼んでくれと女将に頼むと、“パの字の方かい?”なんて昔は言われたらしいです。こういった方が良く着ていた普段着がアッパッパー(ムームーのような服)。これも死語になっちゃいましたね。語源は「Up a parts」らしいですが、どうもこれは嘘くさいです。パンパンとアッパッパーは語呂が良いので連想しちゃうんでしょうが、直接関係ありません。元締めはポン引き。これは「ぼんやりした客を引く」ってことで、これもパンパンとは全く関係ありません。ピンポンパンはプッチーニのトゥーランドットです。(どうでもいい話です。)



またまた話が明後日の方に行っちゃいましたが、風景が無くなると文化が無くなる、文化が無くなると言葉が無くなる、そんなことを痛切に感じる映画でありました。
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