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ゆれるのKKMXのレビュー・感想・評価

ゆれる(2006年製作の映画)
4.1
 自分のやりたいことを成すために地元を飛び出て自由に生きて成功しているように見える弟と、地元に残り家業を継ぎ、汲々と抑圧的に生きている兄の同朋葛藤の話でしたが、なんとなく呪いの話でもあるような印象でした。


 母親の一周忌で地元の山梨に戻ったチャラい写真家のタケル。実家のガススタは兄貴のミノルが継いでおり、ミノルは癇癪持ちの父親の世話や、面倒くさそうな親戚付き合い等をこなしながら生きている。ミノルは想いを寄せているチエコと言う幼馴染がおり、チエコはミノルのガススタで働いている。
 一方、チエコは閉塞的な地方の生活に嫌気がさしており、東京に出たいと願っている。タケルとも知り合いで、タケルに惹かれているチエコは、タケルに誘惑されるまま体を重ねる。
 翌日、ミノルとタケル、チエコは昔よく遊びに行った渓谷に赴く。そこで大きな事件が起きて…というストーリー。


 渓谷の吊り橋を渡れる弟と渡れない兄の対比が本作の兄弟関係を表していると思います。兄・ミノルが橋を渡れないのは生来の臆病さだけでなく、呪いがかかっているからかなぁと想像します。
 兄は『家を継いで守らなければならない』という価値観を無意識に内面化しているように感じます。親戚の調整、父親の世話、家業…ミノルはテキパキとよく働いて役割をこなしてますが、家を守って親類とか地域のコミュニティのハブ的役割を周囲から期待されて、それに応えなければならないと感じており、また応えていることが自分を生きていない言い訳になって偽りの安定が生まれていたように感じます。
 この構図は、ミノルたちの父と伯父にも当てはまります。家を守った父はどこか鬱屈し、弁護士になった伯父はいかにもリア充ジジイという雰囲気です。
 ミノルも父も『家を守らなければならない』という価値観が『そのために自分を殺して自分を生きてはならない』に変換されている印象を受けました。これがミノルを縛っている呪い。こんな言葉は別に劇中には出てきませんけど。 

 ミノルはいろんなものを抑圧してウソを生きてますから、爽やかじゃない。だいたい爽やかじゃないのはなんらかの呪いにかかっている可能性が高いですね。別に家を守ることも「よっしゃ!バッチこい!」みたいに自主的に引き受けることができていればミノルも爽やかに生きていたでしょう。そうなれない何かが、ずっと家族の価値観の中に胎動していて、それがミノルに引き継がれたのでしょう。
 ミノルは呪いに屈服して自分の人生を放棄していました。呪いに対して言い訳するような生き方してましたからね。唯一、しがみつきたかった幼馴染のチエコが弟タケルと関係があり、しかも自分を生理的嫌悪によりはねつけた瞬間、もうどうでもよくなってしまったのでしょう。

 弟タケルも一見自由だけど満たされていない可能性も感じます。特に今後どうして行きたいわけでもないチエコと寝たり、東京に行ったのも「逃げた」と発言してりと、どこか流されている雰囲気が漂います。
 呪いが効く物理的範囲から逃れても、『自分を生きるな』が奥底で効いている可能性もありそうです。


 そして、ついに呪いが発動して偽りの安定が破られ、現実にカタストロフが生じましたが、それをバネに兄も弟も呪いと向かい合ったように思いました。そして、呪いの解き方がむちゃくちゃ破壊的で、それにがむしゃらなパワーを感じました。
 渓谷で起きた大事件の結果、ミノルは裁判にかけられる立場になるのだけど、ミノルの態度はけっこう非合理的。タケルの証言も、ちょっと驚く内容でした。しかし、兄はどこかそれを望んでいたような印象です。
 兄の態度は、事件に関する罪悪感によるものだけではなく『呪いをチャラにする』ことも目的だと感じました。全てをブチ壊さないとちゃんと再生できないのだなぁと、自分の好きな死と再生理論を当て嵌めながら実感しました。
 破呪の結果、兄と弟の間には何かが残ったように感じました。タケルが終盤に発見したものや、印象的なミノルの表情がそれを物語っているのでは、なんて考えました。


 演者・演出について。香川照之の顔演技がとにかくスゴいのですが、何気にオダギリジョーのスケコマシ感がいつもながら本当に説得力がある。ここまで女性にルーズな役が似合う人もそうそういないのでは?
 序盤の不穏なスローファンク風のBGMも妙な説得力がありました。あと、法事の席でタケルと親父がケンカしているのをミノルが取り持つ場面で、溢れた日本酒がミノルの足に垂れているシーンをカメラがこれでもか!と抜くのですが、なんか西川美和の若さを感じました。なんか、「映画撮るッッ!」みたいな気合いをその場面から伝わってきましたね。
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