馬井太郎

ディア・ハンターの馬井太郎のレビュー・感想・評価

ディア・ハンター(1978年製作の映画)
4.2
戦争を題材にした映画は、数えきれないくらいある。そのどれもが、その悲惨さゆえに、二度と戦争をしてはならない、人間同士の殺し合いをしてはいけない、ということを世界中に強く訴えるために作られる。それは、なにも映画に限ったことではなくて、あらゆる芸術、教育、文化等々で叫ばれていることだ。しかし、戦争は壊滅するどころか、地球のどこかで必ず起きていて、増大するばかりの恐怖が感じられるのである。
資本主義VS共産主義では、政治経済の対立であったが、昨今では、民族・宗教がからみ、兵器・武器の多様強大化によって、その争いは解決の糸口すら見えない、複雑・巨大になってしまった。
ベトナム戦争が大きくなったころ、私たち当時の小生意気な学生の間では、日本が参戦して戦地へ派兵されることになったら、どうする、といったような議論が酒の肴になって、唾を飛ばしあったものだ。学生運動がたけなわだった頃である。
そんな時、渋谷の、今でいうスナックみたいなところで、ひとりのアメリカ青年と酒席が近くなった。暗闇に眼をやると、日本人なのに堂々とディープキッスをしているカップルがいたりするようなところだった。私らのグループにも気になる女性がいたので、仲間の眼を盗んでその女性の唇を吸ってやろう、という衝動にかられたが、先々のことが怖くなって思いとどまった。いまにして大いに後悔している。
で、その、アメリカ青年である。ベトナム戦争に行き、負傷して帰ってきた、と語り始めた。立川基地(現在の昭和記念公園)
の病院で療養し、脚に後遺症が残るものの完治した。外出が許されて、こうしてリラックスしているという。熱帯雨林と泥沼と必ずやってくるスコール、数十キロの武器を身に纏っての戦いは、地獄だった、と、私のプアな英語力でもなんとか、いけた。

デ・ニーロ達のどんちゃん騒ぎ、あのはちゃめな、気が狂ったような酒盛りの後、やがて静寂が訪れ、誰も動かず、口もきかない。突如、画面は、凄惨な戦地に切り替わる。ロシアン・ルーレットは、古典的だったが、あの迫力は、真に迫っていた。
当時、カシアス・クレイというリングネームだった、ムハマド・アリは、彼にも届いたベトナム徴兵命令を拒否したため、刑務所に入れられた。世界中に話題をまいた。
この映画を見るたびに、渋谷で会ったあの青年負傷兵のことが頭をよぎる。