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麦秋のKKMXのレビュー・感想・評価

麦秋(1951年製作の映画)
4.9
 一見地味な物語ですが、そこには人間の心の変遷や営みが豊かに描かれている、偉大なる傑作でした。さすが現在でも語り継がれる巨匠・小津安二郎。

 本作は結婚の話ではありますが、次男の喪失を家族が乗り越える話でもあると感じました。間宮家は一見平穏そうであり、実際に平穏に暮らしているのですが、戦争で次男を失うという、非常にヘヴィな傷を抱えています。不在である次男を語る場面になると、映画のトーンがグッと重苦しくなります。戦死通告が来ていないから、母親は受け入れられていないし、父親も「戻ってこない!」という無理に突き放した口調からは受け止められない気持ちが窺われます。

 そんな中、末子・紀子の結婚話が勃発します。あまり結婚についてポジティブな言及をしない、勧められた相手の写真をシカトしようとする等、紀子はもともと結婚そのものに対して関心が低いように思います。
 そんな紀子が物語の中盤で突如結婚を決意するわけですが、相手・流れともに突飛な印象を受けます。しかし、その相手が兄とつながりの深い人物であり、決意の直前に、その人物から兄からの手紙を受け取る約束をする等、紀子の結婚の決意には失われた兄が深く関係しているように思えました。
 紀子の決断は、個人的な意志を超越したもののように思えます。まるで、向こうからやってきたものにフッと応えたような、突然だがとても自然なものに感じられたのです。大いなる力が、兄の存在を内側に留めようとしているように働いているのではないか、と思えてならないです。

 この決断に家族は反対します。その奥底にある理由は、認めたくない次兄の死を受け入れざるを得なくなるからかもしれません。しかし、傷を癒すには向かい合うしかない。紀子の決断は自分のためでもあり、家族の再生のためでもあったのでは、と考えています。

 紀子を突き動かした力は、次兄を含めたこれまでの間宮家の歴史なのではないでしょうか。穏やかに、愛を与え合う家族だったからこそ、家族の内なる力があった。だから家族が受けた傷を自らの力で癒せたのでしょう。ここで家族はついに麦秋という収穫のときを迎え、次兄を送ることができ、家族写真を撮り、それぞれの道に進むことができたのだと思います。
 中盤に風船が空に舞い上がるシーンがありますが、振り返ると、まるで次兄の魂が天に還ってゆく姿のようにも感じられました。


 『もののあはれ』という言葉があります。いずれ消えていくものが持つ一瞬の美しさと哀愁、といった概念だと思います。ベースになるのは無常観。裏返せば、永遠なるものを得ることのできない諦念や虚しさがあるとも言えます。小津はもののあはれへの感受性が強く、それを見事に映画化してきたように想像してます(断言できるほど小津を観てないので)。

 しかし、本作はもののあはれの一歩先を行っていると感じます。
 最もよい時期=麦秋を迎えた家族ですが、再びその時期を迎えることはできないかもしれない。一見、わずか一瞬だけの幸福であるようにも思えます。
 でも、そうではないのです。これまでの間宮家の積み重ねが実りのときを迎えたのです。そこに虚しさはありません。彼らが重ねてきた過去は業績で、永遠なのです。次兄が間宮家で過ごした日々は、決して失われることはないのです。

 変化や成長は、今までの自分や日常を喪失することでもあります。そこには寂しさが生まれます。しかし、間宮家の人々は寂しさをじんわりと味わっています。それができるのは、充実した過去があるから。このような、次のステップに進むために感じる寂しさを噛みしめ味わえることこそが、幸福のひとつの形なのではないでしょうか。
本作は、そのような深い意味の幸福を描いているように感じました。


 演者について。原節子は相変わらず美しく上品で素敵でした。大柄なので西洋の女優のようなセクシーさがありますね。今ではすっかりせっちゃんにメロメロです。
 オフビートギャグも冴えており、イサムちゃんのコメディリリーフっぷりは最高。あんなクソガキキャラよく思いついたな。
 あと、食事シーンがなんか良いです。登場人物がみな旨そうにご飯を食べるので、鑑賞後やたらと白米を食べたくなりました。ケーキよりも白米が良かったです。


 本作は新宿ピカデリー&角川シネマ新宿で開催されたイベント『小津4K』にて鑑賞しました。4Kリマスターは画像がめちゃくちゃクッキリしていて感動しました。
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