ーcoyolyー

若草の頃のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

若草の頃(1944年製作の映画)
3.6
邦題が「若草の頃」なのはこれ「若草物語」のアダプテーション映画だから納得。Little Women→若草物語がどうしてそんな邦題になったのかはわからないけれどもこれ結構センスのある方だと思うのでそこ踏まえて持ってきたのはいいよいいよ、だってセントルイスで万博とか日本人全く馴染みないもん、それより若草物語のエッセンス持ってくる方がいい全然いい。

ジュディ・ガーランドの歌声ってなんでこんなに聴くものの心の奥底、根っこを鷲掴みして揺さぶるような力があるんでしょうかね。他のことしててもその歌声が聞こえてきたら一気に鷲掴みされて揺さぶられて震えてしまう。この感覚私はもう一人知っていてそれはエディット・ピアフなんですけど、ピアフの歌声は中学上がるか上がらないかくらいの時に初めて耳にしてその夜衝撃のあまり、そして自分の根元が揺さぶられた困惑と恐怖のあまりうまく寝付けなかった。あんなの初めてだったから。

こういう歌声を与えられてしまった人は自分に与えられてしまったものの大きさに途方に暮れてしまうからああやって薬に溺れてしまうのかなと二人のことを考えてその類似点に溜息をついてしまう。

ただピアフの声は陽ではないけとジュディの声は底抜けに陽だからこんな映画に出されてしまって歌わされてしまう。この時のジュディなんて「オズの魔法使」的な悪夢の中での悪酔いから抜け出せなくなってるはずで、そんな悪夢で悪酔いの世界の住人からするとこんなアメリカ南部のアッパーミドルの何不自由ない生活を若草物語的世界観でお送りしている映画に放り込まれるなんてそれこそが悪夢で悪酔いで身の置き所がなくてディストピアだったろうなと胸を痛めている。

こんな文科省ご推薦的な教育熱心なご家庭でもご安心して子供に見せられるような映画にあんな陰惨な生活を送らされている人がスター然として主役を張っている。とんだ悪夢だ。

1944年にアメリカはこんな映画を…とか日本人すぐ言うけどさ、日本も本土が空襲される前は庶民の意識はさほど変わらなかったんじゃないかと思うわ。あからさまに経済制裁の影響は出てるけどもさ、それでも戦争ってどこか遠い出来事だったんじゃないかと思う、今のロシア国民みたいに。ウクライナ国民寄りの意識ではなくてロシア国民寄りの意識だったんだと思う日本国民も。

この映画日本でいうなら小津安二郎で笠智衆で原節子で杉村春子でみたいな世界観の映画だと思うので、意外とこの時期の日本でも撮ろうと思ったら撮れてたんではないかと思います。いや予算とか物資とかの問題で撮れはしなかったんだろうけど思想的には軍国主義的な映画撮って余裕があれば撮れてたと思う。その余裕のなさが敗北の味なんですけどね。
ーcoyolyー

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