あなぐらむ

狂い咲きサンダーロードのあなぐらむのレビュー・感想・評価

狂い咲きサンダーロード(1980年製作の映画)
3.9
BSで小林稔侍が人情税務調査官(なんだそれ)を演じてるサスペンスを見たので。

映画館で観たのは本公開ではなく、中野武蔵野ホール(サンモールの傍らにあった小劇場。「KAMIKAZE・TAXI」もここでやった)での「ラジカル映画特集」の一本だった。同時上映は「0課の女 赤い手錠」(野田幸男)。

本邦公開が1980年、東映セントラルフィルム配給のようで、製作は石井聰亙の狂映舎・ダイナマイト・プロ。自主映画である(獅子プロがバックアップ)。
70年代という「シラケの時代」と呼ばれた時代の尻尾に製作されたこの映画は、当時の他のピンク映画や独立系映画と同様、苛立ちと、焦りと、やり場のない怒りに満ちている。彼らが苛立つのは、やがては自分もそうならざるを得ない「大人」についてだ。主人公ジン(山田辰夫!)の暴走族仲間連中は、先に賢く「大人」になって街とうまくやっていく。自由に「走る」ことが規制されているような街で独り反抗するジン。彼は大人になる事を拒否し、「ガキ」であろうとする。何故か。自由でいたいからだ。何にも縛られる事なく走っていたいからだ。
親切ごかして近づいてくる「右翼の男」(小林稔侍)も結局のところ自らの体制へのオルグを行って構成員を増やしたいだけだ。街を守る、というのは大義名分でしかない。「大人」のやり口である。
ジンはそんな事がしたい訳ではない。「為にする行為」をしたいのではない。あらゆるものから行きはぐれて、ただ突っ走っていたいのだ。
故にクライマックスの戦いは彼の「個」を賭けた戦いである。個が個でい続けるための戦いなのだ。

たった一人、ジンを救うのが本物の「ガキ」なのは、ジンからすれば当然なのである。それは彼もまた喪うかもしれない「少年性」の具象化された姿なのだから。
ラスト、ブレーキレバーを握れなくても、ジンはバイクに跨り、一気に駆け抜けて行き、物語は終わる。心配する「ガキ」にニヤリ、と笑って見せる山田辰夫の表情が抜群に良い。これがデビュー作となり、その後インディーズ系映画を、邦画プログラム・ピクチュアを陰から支えた彼が最高にイキが良い。芝居のレパートリーは怒り、わめき散らす暴れるだけなのだが、それがジンというキャラにピタリとはまっている。どうしようもない現実のやりきれなさを体感して、痛々しいのだ。

石井聰亙は決して上手に作品をまとめた訳ではなく、つまづき、素人っぽさを滲ませながら勢いだけで、そうジン自身のように突っ走ろうとする。
それでもクライマックスの戦闘シーンのインパクトある画作り、細かいカッティングなどは彼のセンスを感じる事ができる。結局の所、エンディングの走り去るジンを描く事がこの作品のテーマであり、それは成功している。
撮影は笠松則通。石井聰亙作品から「どついたるねん」「バタアシ金魚」と80年代後半から90年代に活躍する彼の硬質な映像は見所となっている。共同脚本の平柳益実は獅子プロの渡邊元嗣組(ナベシネマ)の人で「狙われた学園 制服を襲う」も書いている人。東映とは縁が深いな。

メインテーマである泉谷しげる「翼なき野郎ども」が深い余韻を見る者に与える作品である。青臭い映画で今の小器用にまとめた「インディーズ系」には出せない風味のある一本でだ。