園子温監督作
この人らしい愛の表現
ひたすらその空洞に何かを入れるため、その快感を入れるため、鍵穴に鍵を入れるためだけのために女の人はある。全力がある。それだけの存在。まさに動物的。
性の欲求のままに、性の欲求のままに、男は同じものを求め、女は気分を変え使い捨てる。女は現実、男はロマン。男は走る。だってあいつが走っていたから。そのロマンをかなえるために走る。女は気まぐれ、いつも先を走っていて、男を翻弄する。そんなものなのかと
詩的な文を書いたけど、正直言って、園さんも、他の邦画監督と同じで走らせることが好きなのね。あのダンスは一体なんなのだろうか。結局みんな空っぽだからこそ、何かを満たすために何かに向かうのかもしれない。そんなことを教えてくれる作品であった。
ただし、そのバリエーションはSEXやダンス、走ること以外にもあるはずだ。大体この人はそういうものを満たすものは女しかないと思っているのだろうか。だとしたら、そんなものじゃないと思うな。肉体的な求め愛は、とてもじゃないけど生きる上で必然とはいえんのだよ。