もものけ

ゴースト・ドッグのもものけのネタバレレビュー・内容・結末

ゴースト・ドッグ(1999年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

マフィアの為に殺し屋稼業をする"ゴースト・ドッグ"と呼ばれる謎の黒人。
彼はある誓いのために、殺し屋に捧げる人生を送っている、まるで死に場所を見つけるためのように…。






感想。
私にとってはジム・ジャームッシュ監督といえば、「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」であり小洒落た会話と、フィルム質感の良さが魅力の静かな作品を撮る監督のイメージですが、こちらの「ゴースト・ドッグ」も衝撃的こそではないけど静かに殺し屋の男を描いております。

フィルムと音楽に拘ったカッコよさが定評ですが、渋めのヒップホップが黒人である殺し屋の男の人生をライムするかのように、大人サウンドで描いております。
ウータンクランのRAZが音楽を担当しているので、東海岸のジャジーなサウンドとライムが、初期のヒップホップの小気味よく響くノリです。

チャプター形式で進む物語は、なんと日本の"葉隠"を愛読して傾倒する黒人殺し屋が、"武士道とは"と読み解きながら進んでおり、ややカッコ良すぎですが主君に命を捧げる"サムライ"を表現して、ハリウッド映画にあるヘンテコ日本人ではない演出となるので、割とすんなり入れます。
襲われたアジア人がカンフーを使ったり、鞘に納める刀の刃の向きが逆だったりと、ツメの甘さはありながらも武士道精神に憧れる黒人という視点なら理解できる程度。
まさかクリスチャンなアメリカ人から"色即是空、空即是色"が出てくるとは思わず、しっかりと日本人しており良いです。
"無"という武道においての概念を、十字架という偶像崇拝する社会で理解できることが驚きです。
神格化する生き物への敬意も、クマを無意味に殺す白人へ向けて、アイヌ民族の"カムイ"を崇める精神かのように表現されております。

プチ「レオン」的な女の子救出劇があったり、マフィアの面々の間抜けっぷりや、伝書鳩の謎設定など、ヘンテコな可笑しさがシュールです。

作品には様々な"ミスマッチ"が散りばめられております。
黒人と武士道、マフィアとヒップホップ、英語と仏語、大人とアイスクリーム、葉隠(忠節)と羅生門(エゴイズム)、刀と銃。
このミスマッチがなんのツッコミもなく、融合して互いを理解し合う不思議さが込められており、顕著に分かりやすいのは英語と仏語で、通じ合ってないのに会話が成立しているシーンでございます。
表現的なものではなく、理解し合うことは互いへの敬意であると言わんばかりに、街の黒人達の全ては"ゴースト・ドッグ"へ敬意を持っております、たとえ言葉が分からなくても。
しかし白人であるマフィアは、相手にするどころか侮蔑すら浮かべております。
これらが作品のメッセージとして隠喩されている表現なのではないでしょうか。

VHSでしか鑑賞したことがなかったのですが、この度のBlu-rayでの鑑賞で、ワイドスクリーンいっぱいに広がる美しいフィルムが印象的でした。
さらに、ミニシアターでの構図を意識しているのか、被写体が画面いっぱいに撮られており、細部とされる背景までもが被写体と共にクッキリとピントを合わせて調和されており、大画面テレビで鑑賞すればするほど、ミニシアター劇場並みの映像の迫力を体験させてくれます。
特徴的なのは、マフィア親分三人がカメラを覗き込むように会話するシーンで、肩を寄せ合ってスクリーンの端ギリギリにギッシリと配置された構図と、背景の部屋がスクリーンいっぱいに調和的にフレーミングされており、迫るかのような映像が目の前に広がる感覚です。
この被写体と背景の調和は、ミスマッチと共に作品のメッセージかのように表現されている気がします。
個人的にはこの構図でのサイズが絶妙で、最も距離感が現れていて映像が印象的に伝わる手法に思えます。

作品で描かれるイタリアン・マフィア達は、いい歳してるのにコキ使われ、ティーンエージャーのように冗談ばかり言い合い、子供にすら馬鹿にされる存在でありながら、警官を平然と殺す冷酷さを持っております。
しかし、何故かマフィアが観ているテレビはカトゥーンアニメです。
これは、"幼稚地味た存在"という比喩が込められた表現で、警戒心なしにあっさりと殺し屋に殺されてゆくプロットへの解釈ともとれます。

"最初から濡れる心構えあれば、濡れても苦なし"
彼がルーイに恩義を感じて死ぬことに、武士道精神なぞ日本人すら無くしているのに黒人が傾倒して死ぬことはないじゃないかとの意見もあります。
でも"ゴースト・ドッグ"は、あの日死んでいた筈なのです。
ルーイに救われた命なので、ルーイ(主君)に捧げているのです、あの日から。
つまり最初から死ぬ心構えがあるから、苦なく死してゆくのです、主君のために…。
ここまで欧米人でありながら、武士道を表現できた監督というのは稀ではないでしょうか。
"ゴースト・ドッグ"が死することが作品なのです。

ルーイ(主君)をボスの座(城)へその身を課して就かせ、そのルーイに撃たれて死ぬ"ゴースト・ドッグ"は、切腹を命じられた"サムライ"そのもの。
そしてあの日の誓いを果たして、穏やかな表情でアメリカに生きた"サムライ"は去ってゆくのでした。
主君がコマ"サムライ"へ対する扱いまでもが、忠実に武士社会を再現しており、ここまで解釈できた監督の自信に満ち溢れた"すべて熟知"という、謎のプリントシャツの意味が伝わるようです。

時代に取り残された最後のサムライは逝き、新しい時代が進んでゆくのですが、その精神は少女へと継がれてゆくというラストに、古き取り残された考え方である武士道精神を感じつつも、その生き様に敬意を評した哲学的作品へ、4点を付けさせていただきました!
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