もものけ

草の響きのもものけのネタバレレビュー・内容・結末

草の響き(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

東京で編集の仕事をして心を壊してしまった和雄は、妻と共に療養する為に休職して函館に引っ越してきた。
かつての友達と出会い、ランニングに打ち込んでゆく和雄は、地元の若者と共に走る不思議な関係を築いてゆきながら、必死に心を取り戻そうと生きてゆくのだが…。






感想。
現代社会の反映か、ここのところ流行りのプロットとして"心の回帰"というものがあります。
この作品も、そういった何でもない人々のごく普通の日常で、壁に打ち当たってしまった人間の脆さと儚さを、平行する同じシチュエーションの大人と若者の視点から、社会から受けるストレスには違いがない姿として、ゆっくりと丁寧に描ききっております。

キャストにモデル出身の役者を揃えていますが、東出昌大と大東駿介の二人の演技力が飛び抜けており、ごく平凡な日常風景にあっさりと壊れてゆく精神の脆さを、東出昌大が迫真とも言える演技で訴えかけるように伝えており、役者の演技力が作品を支えております。
冒頭ワンショット長撮りで、函館の住宅地を駆けるスケートボードですが、テクニックが素晴らしく調べてみるとスケーターでもあるKayaという役者のホンモノの演出で、バックに流れるピアノの旋律の美しいメロディから一気に惹き込む作風、随所に動きのあるワンショット長撮りを起用していて、役者の演技力を交えてしっとりとした静かな作品でありながらも、スタイリッシュさを上手く表現しています。

一見すると主人公達の過去と現在の姿として、並行した時間軸を用いている2つの物語ですが、別々の物語でありながら共通している演出に驚かされました。
そして、あえてショッキングやドラマティックには演出せず、突然訪れるシーンで解釈させる手法は、ごく平凡な日常風景の中として観客へ共感させるテクニックとなっており、衝撃的ではないのに心にずっしりと重くのしかかる展開としています。
これが、"心の病"を患った患者の視点を擬似体験させる手法となっており、原作者が自律神経失調症を患って書いた作品を、映像として見事に表現していると思います。
"鬱"などの虚脱感、空虚感が普段の生活で、ある日突然訪れる感覚として再現する手法となっております。

音楽も前後の展開としてのシーンもなく、あっさりと青年が海へ飛び込むシーンと、幸せな家庭を歩み始めた平穏な日に、突然大量の薬を飲んで自殺未遂をするシーン。
この2つの物語の結末として進むシーンですが、ここに至るまでに二人はサインを出していることにお気づきでしょうか?
この演出には、個人的には非常によく脚本をまとめて込めた病気への理解が、わざとらしくなく表現されているのには脱帽です。

主人公は、自発的に病院へ連れて行ってほしいと駆け込み、医師から薬物療法などをアドバイスされています。
運動療法としてのランニング、若者と出会い交流することで"心の回帰"をしてゆく作品に見えます。
しかし、ランニングや仕事、日常生活のあらゆる物事は、主人公は自発的には行っていない点に注目しました。
ただ勧められて"やらされて"いるだけを、生真面目で几帳面な性格である主人公は淡々とこなして、実績すら上げています。
でもそれは"やらされて"いることなので、望んでいることではありません。
故に、主人公は青年が死んだ話を聞いて心を乱してしまい、壁に阻まれたまま不安だけが募ってゆき、自信を失って自殺未遂をします。
そして終いには、無理矢理に主人公を抑えつけるという履き違えた人権主義となり、全く心のケアを蔑ろにしてしまっている社会の姿として写ってゆきます。

この悲劇的な物語の中には、医療機関としての無力さや、押し付けがましい医師の治療法、二人っきりで暮らす病気からの共倒れ、サインに気付けなかった後悔からの自己嫌悪など、社会問題とし扱われる演出を取り込んで、"心の病"への深刻さを訴えかけております。

"心の病"は病識がないから"病"なのだと言われております。
作品で個人的に衝撃的なシーンだったのは、妻に「幸せじゃないの?」と問いかけられた主人公が、卑屈な笑みのまま首を振るシーンと、拘束された主人公に「辛いんです」と問いかけられた医師が「こちらも辛いんです」という2つのシーンです。
傍から見ると思いやっての会話に聞こえますが、全く相手を蔑ろにしたチグハグな対話となっており、別世界に住む人との対話の難しさと病識がない為に理解できないもどかしさを見事に表現している、ほんの少しだけのシーンなのにズッシリと心に重くのしかかる場面でした。

悲劇的であり辛く重苦しい物語ですが、唯一ラストシーンで犬のニコと車で走る道のりに、明るい日差しが差し掛かる順子が見た景色は、一番望んでいた"キタキツネ"との出会いでした。
このシーンが最も好きなシーンであり、涙が止まらなくなる美しいシーンでした。
良くしようと追い続けてはいけないのです。
それは、不意に訪れる幸運でしかないのですから。
病気との戦いも然りです…。

あれだけの状況へ追いやられても主人公は妻へ「ありがとう」の伝言を残します。
まるで取り繕っているかのように見えるのは私だけでしょうか。
この病識の無さがもたらす"心の病"の深刻さがここに表れており、必死に平然さを演じようとすればするほど、ストレスとなって自分を追い詰めてゆくことになります。

心の器は、一度割れてしまうともう元通りには戻りません。
形として戻ることはできても、器に入ったヒビが塞がることもなく、何らかの衝撃が加われば簡単にまた割れてしまう。
そんな"心"の脆さと取り戻せない深刻さを、ラストの笑顔で走りゆく主人公へ、明るい未来としての"心の回帰"ではない複雑さとして締めたオチとして、何とも言えない気持ちになったまま終わる物語として感じるのは私だけかもしれません。

この病気を顔の表現いっぱいに演じきった東出昌大の演技力は、近年の邦画の中では、ずば抜けていたように感じました。
自然体ではなく地味なのであまり印象的な演技ではなかった奈緒も、自殺未遂を図った夫を見つけるシーンと、キタキツネを見るシーンの涙には、高い演技力で観客を魅力させる素晴らしいものを感じました。

音楽が美しくとても良かったのも印象的でした。
函館の寂れた街が、景色として映えており、ロケーションも良いです。

近年の邦画では、"心"をテーマに扱った中では、非常に驚嘆させられた秀作へ、4点を付けさせていただきました!

たまに邦画でも良作があるのは、喜ばしいことでもあります。
もっと邦画にも頑張って欲しいものです。
せっかく、心理や心を描くのに長けた映画界なので、あえてハリウッドを真似る必要なんかなくても、この作品のように素晴らしい作品を製作できる希望すら感じさせられました。
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