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EUREKA ユリイカのshxtpieのレビュー・感想・評価

EUREKA ユリイカ(2000年製作の映画)
4.5
高校生のころ、サボタージュの常習犯でいつでも不貞腐れていた(いまだってそうかもしれないが)ぼくは、ある日、学校へ行かずに東京湾を見に行こうとした。調布から多摩川沿いを延々と自転車で走ったが、羽田空港のあたりで行き止まりになってしまい、太平洋を眺めることはできなかった。「癒しと再生」を得るどころか、ただの徒労をおぼえて帰路についた。鉄砲玉でもない限り、帰ってくる場所があるのであれば、旅でもなんでもそれはただの円環運動なのである。

『ユリイカ』には様々な乗り物が出てくる。自転車、ミニバン、そしてバス。自転車は家と職場や商店を往復し、円環運動によって登場人物たちをかろうじて「帰るべき場所」につなぎとめている。しかし、物語の最初と最後に登場するバスは、円環運動の途中で移動をやめてしまう。ラスト・シークェンス、沢井(役所広司)は梢(宮崎あおい)に向かって「帰ろうか」と声をかけるが、ほんとうに家に帰ったのかどうかはだれにもわからない。そもそも彼と彼女に帰るべき場所はあったのだろうか。バスがハイジャックされたあのときに、それは決定的に、取り戻せないかたちでうしなわれてしまったのではないのだろうか。直樹(宮崎将)は物語から退場させられ、うっとうしい秋彦(斉藤陽一郎)もそれに伴ってバスの乗員の資格を奪われてしまった。疑似的な家族だった4人の共同体は散逸した。それに、沢井は病におかされている。彼と彼女が海を見ることによって癒しや回復や再生を得たかどうかは判然としない。

沢井と梢がついに海へと辿り着き、ジム・オルークの“ユリイカ”がフィルムそのものから溢れ出すかのように流出し、観客の聴覚を奪うこの映画のクライマックスはなにものにもかえがたい(鑑賞後、思わずアルバム『ユリイカ』を聞き返した)。浅田彰が言うとおり、ラストの「カラー化」と空撮は余計に感じた。というか、『ユリイカ』の物語は海のシークェンスで幕を閉じていた。それほどクロマティックB&Wという特殊な現像方法を用いたセピアの色調と運命的な必然性をもったショットの数々は戦慄するほど美しい。もしこれが全編カラーだったとしたら、『ユリイカ』は傑作たりえていないだろうし、想像しただけで辟易する。そして、映画をとおしてほぼなにも語らない宮崎あおいの繊細な表情もまたこの映画を傑作たらしめている。 (こういった映画が撮られた1990年代から2000年代前半の日本映画を取り巻く環境の豊かさに嫉妬を覚える。日本映画の未来を託すべきは、この時代の豊饒さをただひとりで引き継いだ濱口竜介である。)


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2022 年 6 月 12 日追記。2022 年 6 月 9 日のインスタグラムストーリーズから。

『ユリイカ』デジタル・マスター完全版上映最終回、滑り込みで見てきた。もとのフィルムの問題なのか、開巻時のプロダクションロゴからして、微妙な画質に嫌な予感がした。 結局、映画を通して画質はよくなくて、終始、北野武の映画の DVD みたいなぼやぼやした映像だった。それはともかくとして、映画 そのものに対しては、初めて見た時ほどの感動を覚えはしなかったけれど、それでもうちのめされた。やっぱり、あまりにも強烈なショットが多すぎる。それに、宮崎あおいのとんでもなさというか、他の役は正直だれがやってもいいと思うんだけれど、『ユリイカ』の梢は宮崎あおいでなくてはならない必然性、それ以外にありえない代替不可能性がすごい。あと、『ユリイカ』はせりふが極端に少なくて、非言語のコミュニケーションが中心にあることを、あらためて痛感した。ひたすら俳優やバスなどの「アクション」を映す映画だからこそ、映画としての必然性が痛烈に感じられる。脚本にどんなことが書いてあるのか、まったく想像できない。とくに、「別のバス」が登場してから、この映画はどんどん自律的に動いていっているという か、ゴールのない行き当たりばったりのロードムービーとして、勝手に自走している(脚本が存在していない)感じがする。あとは、浮世離れした幻想性や「現実性の省略」みたいなところと、めちゃくちゃリアルなエモーションとのバランスが奇跡的な配合の映画だと思う。役所広司と国生さゆりの別れのシーンは泣く。

『ユリイカ』デジタル・マスター完全版。 3時間くらいだっけ? と思って、映画が終わってテアトル新宿を出たら、もう 23 時前。 217 分、 3 時間 37 分もあったの忘れてた。当たり前のように、長さはまったく感じない。『ユリイカ』に「劇的」な場面はいくつかあるものの、だからといってその間が退 屈なわけでもなければ、間伸びしているわけでもない(むしろ、「劇的な場面は特殊で、「それ以外」が「劇的」でもある)。本当に不思議な映画だと思う。それから、 4 時間近い長 時間を、大勢の人間が暗闇の中で、スクリーンというひとつの ものを眺めてじっと座っていること、「映画を見る」という行 為そのものが、あらためてすごく不思議に感じられた。
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