せーじ

その街のこども 劇場版のせーじのレビュー・感想・評価

その街のこども 劇場版(2010年製作の映画)
4.6
「カーネーション」の渡辺あやさんが脚本を書き、「あまちゃん」の井上剛さんが監督をし、大友良英さんが音楽をつけているというこの作品は、いろんな方面から名作であるという話を聞いていたこともあって、ずっと気になっていた作品だった。
幸運にも、近所の図書館でDVDを発見。速攻で借りて鑑賞。
(ウチの近所の図書館には「グラン・トリノ」や「キッズ・リターン」があったりもしたのでなかなか侮れないなと思ったり)

生々しかった…
主人公二人の演技が、どこまでが演技でどこまでがアドリブなのかが全く分からないし、なんなら事実なんじゃないかとすら思えてしまう。加えて二人とも自分がよく知る知り合いと似ていたので、その時点でもう、映画として観ることが出来なくなってしまった。
撮り方も無造作に撮っているようで綿密に計算されていたし、話の内容もさらっと要約してしまうと、特にどうということはない地味な話なのだが、まるでよく知る友達の"当時の体験談"を聞いているような感覚にさせられて、胸が潰れた。
聞くところによるとこの作品は、ラストシーンを2010年の1月16日の夜から1月17日の朝までの間で撮り、その日のうちに編集作業を行って、その日の夜にドラマとして放映されたのだという。
なんだそれ、恐ろしすぎる…

そんなこの作品が、どうしてそんなとんでもないやり方で撮ったのかを考えるに、「フィクショナルな形骸化=記憶の風化からの全力での抵抗」を形にしたかったからではないだろうかと思う。
自分は当事者ではないので、地震や震災に関してはすべてが伝聞で想像をするしかないのだけれども、そんな自分でも「主人公の二人がよく知る知り合いに似ていた」という偶然があったとはいえ、観ていて実在の人々の体験であるという手触りや生々しさを心の底から感じることができた。

「つまり、翻すと」なのだ。
自分の周りにも、見えないだけで、実際に、なのだ。

これが、こういう題材の作品を観て考えるうえで、とても重要な感覚なのだと思う。
過去と繋がることでイマジネーションを働かせることを促し、翻してそれが現在の自分の周囲にいる"見えない当事者"の方々への理解の助けになり、ひいてはそれがこういう出来事に対しての風化を抑えることに繋がるのではないか、という。
そういう意味でこの作品は完璧であるし、ある意味において"創作"をしていく人々にとっての意味や使命のひとつが、もしかしたらこういうことなのかもしれない、と思った。
大袈裟かもしれないが。

クライマックスで走り出す二人を見て「あまちゃん」の最終回でアキとユイが走るシーンを思い出しました。
あのシーンは、この作品をオマージュしたものだということがわかったというのは、自分にとってはすごく意味のあることだなと思いました。
「この作品がつくられてから今日までのことを思い返す」という意味でも、おすすめです。
せーじ

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