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ドッグヴィルのtorakoaのレビュー・感想・評価

ドッグヴィル(2003年製作の映画)
2.0
床に線を引き、最低限の家具が置いてあるだけに近いセットで、舞台演劇的に繰り広げられる珍妙な作品。
小さな集落に紛れ込んだ余所者のヒロインが村人に受け入れられようとし、その試みは村人達の(というかラースフォントリアーの)悪意によって歪められていく不愉快な話。

ラースフォントリアーかなり苦手だったが嫌いとまではまだ思ってないぐらいの頃に見た。ステランとポール・ベタニー出演作なので。

素敵レビュアーえいがうるふさんの『パペット大捜査線』のレビューを読んでいて思ったのだが。
これラースフォントリアーの底意地の悪さと悪趣味に端を発した歪んだ人形遊びの具現化ではなかろうか。オスとメスの人形をガチャガチャやって壊して遊ぶ昏い愉しみを映画にしてお見せしました、とでも言われれば私は物凄く腑に落ちる。話や登場人物達の言動、ストーリー展開の嘘臭さも違和感も、だからかなるほどと思ってしまえる。
俯瞰のカメラはプレイヤー=神=ラースフォントリアー視点であり、線が引かれただけのセットは子供のごっこ遊びで地面に足や棒でラインを引いたりするのと同じ、壁やドアや屋根がある必要はない。プレイヤー=神としてはそれらで死角ができてしまうより全部見えるほうがいい。
と考えると私の中では結構辻褄が合う。

人形遊びの具現化で素晴らしいものを作り上げられるクリエイターも勿論いると思う。が、これは芸術に昇華できてるとは思えない。

何を描きたかったというより発散な気がするんだが、俺が考えた理想のヒロイン見て見てーなのは伝わる。『奇跡の海』と同一人物みたいな感じだし。疑いを持たず男(俺)の言いなりになってくれる女が好きなんだろうなー。わからんではないけど、思っててもしまっとくかうまくアレンジするか何かしろって。そのまま出してくんなって。気持ち悪い奴だなー。露悪趣味なんだろうけどさー。

ステラン、ポール、パトリシア・クラークソンさんと素敵俳優が出演しているが、彼らはこの作品じゃないほうが輝けると思うので、こんなもんに出るより違うもんに出てくれ、て思ってしまう。当時空いてたならいいけども。

特典ディスクだったかでステランがラースフォントリアー作品ならエキストラでも出たいぐらい仰ってて、堪忍えーて思った。
訊かれれば決まって次作にも出たいと答えてた主演女優が次作に出なかったがリップサービスも程々になー。

ステラン「だがユーモアもある」て言ってたので、この作品で笑ってしまったって人は自分おかしいのかとか変なのかとか思わなくていいんじゃないかな。
ステラン尻とお袋さん。
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