もものけ

田舎司祭の日記のもものけのネタバレレビュー・内容・結末

田舎司祭の日記(1950年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

田舎の村へ司祭として赴任した若い男は、持ち前の信仰心と生真面目な性格から、若さもあり村人からは敬遠されてしまい悩む。
しかし自分を語らない性格から、ハッキリと伝えることが苦手で、やがて悪化する事態は彼を心と身体の両方から疲弊させてゆくのだった…。






感想。
キリスト教における殉教者である"聖人"を描いた苦難に満ち溢れた物語と解釈できるほど、成し得る者には人々の理解はついてゆけないものなのねと感じさせられる、人間の愚鈍さを描いたドラマ。

演出というものを削ぎ落とすことに注視して、淡々と綴られた日記の回想録のような展開なので、興味を持って見入りますが、絶望的な暗い物語に段々と眠気を催すような作品でもあります。
公開から70年も経ってからの日本でのお披露目であるのも頷ける、全くの一般向けしない文芸作品ともいえるのではないでしょうか。
キリスト教徒ではないと、理解に苦しむのも、日本人受けしない理由にも感じますが、無神教であるがゆえに多彩な考察もできるということなので、映画好きや小説好きには興味を惹く題材とも思えます。

ロベール・ブレッソン監督作品には、まだ個人的には馴染みが薄いですが、「ジャンヌ・ダルク裁判」での切り口など、イングマール・ベルイマン監督のような写実的でもある哲学さが好きな雰囲気を持っています。

寡黙で生真面目な故に関係を拗らせてしまい、周囲から孤立してゆく生き方の下手な主人公の視点で、語ってもいい日常生活を吐露してゆきますが、語られない消し潰され破かれた日記こそ、彼の苦悩を吐露した本当の表現であり、それは語られることなく物語のラストである十字架の中へ消えてゆきます。
そして、悪人は登場してくることはなく、"悪意"だけを感じ取る主人公は、病気を患っており若いが故の生意気さも兼ね備えていて、"理解されたい"という願望が強く現れております。
こう考えると"理解されない"強い感情が"妬み"となり、周りの世界を歪めて見せる色眼鏡となってゆくことは想像できます。
実は周りはそれほど深刻には思っていないことでも、主人公にとっては超絶的な"拒否"となり、囁かられる会話は"悪意"ある"噂"に聞こえ始めます。
つまりこの物語は"思い込み"から自身を追い詰めてゆく聖職者の一人の男を描いているように思えます。

しかし、彼の唯一の美徳は"寡黙"であることです。
全ての"悪意"を受け止めることによって、人間の背負った贖罪を一手に引受け、病と短い生涯である"受難"を経て、ラストでは"聖人"となって昇華されます。
ただ一人の清き行いを、周りの"悪意"の中に耐え忍ばせて描くことで、"キリストの受難"を同一視として表現して信仰心を強くさせ、人間の愚かさと、脆い人間の命を啓蒙した作品に見えました。

自然光でのモノトーンのフィルムで光と影を表現。
これらが、不条理で過酷な現実から神の存在への疑いを持ち始める人々へ、真っ直ぐに向かい受けて苦闘する若い聖職者の"聖人"物語を、モノトーンのまばゆい光に照らし出された十字架によって、精神性へ刻み込むかのように表現されています。

ラストの十字架が、まばゆく見つめることが出来ないか、涙で濡れた瞳で田舎司祭を想いながら括目するか、信仰心を問われるエンディングが厳粛でございます。

地味でなんのドラマ性もない作品ですが、いろいろと考えさせられるテーマに、4点を付けさせていただきました!
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