朱音

planetarian 星の人の朱音のネタバレレビュー・内容・結末

planetarian 星の人(2016年製作の映画)
1.4

このレビューはネタバレを含みます

何というか、表現の「核」となるべき部分がごそっと抜け落ちているような作品だと感じた。
冒頭からくどいほど説明的な台詞やモノローグが続き、キャラクターがとにかく人工的というか、作為的に感じられ、その台詞や行動が全然肉迫してこないので、感情移入はおろか物語にも全く入り込めない。
近年のアニメ映画作品の水準で考えると、これほど芝居をしていないアニメーションは逆に珍しいというか、旧態依然とした表現に思えてしまう。キャラクター・デザインに新味が感じられなかったのもそのことに拍車を掛けている。

いちおう系譜としてはポスト・アポカリプス的世界観の中で描かれるボーイ・ミーツ・ガールと、継承の物語と言えなくもないが、全ての要素が非常に中途半端に、そして雑にまとめられているため、結局何が描きたかったのかがよく分からない話になってしまっている。

ロボットであるほしのゆめみと、人間である主人公との間にある隔たりや、絆が生まれてゆく過程の描写も酷く雑で、そのせいで物語の様々なターニングポイントで彼が何故その選択をするのかという場面において説得力がまるで感じられず、その上長々と愁嘆場を見せられても感じ入るものがない。
後年、彼が星の人としてその半生を捧げてきたこと、そしてラストのゆめみの台詞によって全てが報われたと落涙する場面、子供たちの決意と継承、その全ての中心にあるべき魂の帰結点、それは何なのか?

プラネタリウムが見せる星の美しさ。であるという。

個人的な見方をするとこの作品は、荒廃し、人間が不在となった世界の中で、たった一人残されたロボットが、健気にも職務を全うし続けているというシチュエーションから漂う哀感と、プラネタリウムというロマンを掛け合わせたという、そのヴィジョン、そのイメージありきで、そしてそれ単体でもって完結させてしまった作品なんじゃないだろうか。

何を描こうがそこに必然性がないのだ。

そしてプラネタリウムにロマンを感じるのも、託すのも良いが、それに現実離れした、もはや魔法のような効力を持たせ、それによる一点突破のような強引さで全ての物事を片付けようとするのは、本当に脚本の杜撰さだと思うし、むしろそれではまるでカミュの不条理劇のシンボルの様だ。

しかも残念な事に、その肝心の「投影」シークエンスはそれほど力の入った描写には感じられないし、不必要に分断されていたりともう訳が分からない。

序盤はあれだけ冗長に説明的であったにも拘わらず、ラスト付近になると途端に言葉足らずになるのも感心出来ない。
結局鍵だかメモリーカードだかの伏線と、その顛末も良く分からないし、わちゃわちゃし過ぎて、どうでも良いような感じでさっさと映画終わっちゃうし、何なのかな。
朱音

朱音