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レス・ザン・ゼロの東京キネマのネタバレレビュー・内容・結末

レス・ザン・ゼロ(1987年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

何十年ぶりかの再見ですが、やっぱり凄い映画でした。 これだけ時間が経っているのに絶望感だけはどっぷり襲ってきます。

ブレット・イーストン・エリスの同名小説が出版されたのが1985年、日本語版は1988年です。 映画の公開はアメリカが1987年、日本では1989年です。 アメリカは経済どん底状態 (だから、むしろこの映画の世界のように、新興成金世代が出てくるんですね)、日本ではバブル景気のピークっていう状況でしたから、『レス・ザン・ゼロ(ゼロより少ない)』 の世界がピッタリはまっちゃったんですね。

1980年代後半あたりから、アメリカでは 「ニュー・ロスト・ジェネレーション」 がちょっとしたブームになってまして、虚無感やレイジーな感覚を主題にした小説が沢山登場しました。 まあ、本作はその先駆けみたいな作品だった訳ですが、こういった青春残酷物語のようなお話ってのは、ある意味アメリカでは定番で、古くはメアリー・マッカーシーの 『グループ』 から始まって、映画 『セント・エルモス・ファイアー』 もそうですし、良くある話ではあったのです。

しかし、『レス・ザン・ゼロ』 が明確に違うのは、それまでの “若者が絶望して自死してしまう物語” ではなく、“若者が死を望んでいる訳でもないのに、生きられない物語” ってことなんです。

この映画でも、何度も再生しようとしたジュリアンはオーヴァー・ドーズで急死してしまうのですが(実は、このシーンは小説にはありません)、最後の最後まで生きようとしていたんですよね。 つまり、この絶望感ていうのは、本人達が理解できない絶望感なんです。 嫉妬心や牽制やライバル心で簡単に壊れてしまう薄っぺらい友達関係、或いはお金の問題で簡単に崩壊してしまう家族 (どうでも良い話ですが、アメリカでも 「勘当」 があるんだ~と変な感心をしましたが・・・)、だからこそ、近くにある友情だけは大切にしようともがくんですが、気づいた時はもう完全に遅いんですね。 金と麻薬とSEXと時間は有り余るほどあったのに、生きるための意味や知恵を全く学ばなかったのです。

ラストシーンは、死んだジュリアンを真ん中に、クレアとブレアが両側に座っているオープン・カーのロング・ショットから、延々とズームインして呆然としているクレアの表情が見えてきます。

そこに、ロイ・オービソンの “Life Fades Away” が流れます。


“My time has come the clouds are calling.
December wind has came my way.
And now I feel the world falling.
All at once, it's too late, life fades away”


泣けるねえ~。 景色が見えなくなって初めて理解できるって、余りにも悲しいですよ。
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