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ゾンビ・クィーン/魔界のえじきのhorahukiのレビュー・感想・評価

4.2
文明に蹂躙される神聖

11月はゾンビ⑩

ジャンローラン監督による、美女(ゾンビ)×美女(人間)な悲恋レズ映画。産業廃棄物を浴びて生き返ったカトリーヌは血を求める吸血鬼のような存在になってしまう。カトリーヌと恋仲だったエレーヌは、そんなカトリーヌを受け入れ、森の中にうち捨てられた美しい廃墟で2人だけの生活が始まる。そして、エレーヌはカトリーヌのために血の生贄を探し始め…。

この2人の関係性について明確には描かれないながらも、幼いころに「あなたを一生愛す。あなたが死んだら私も死ぬ」という血の誓いを立てた間柄であることが語られる。カトリーヌの死後、エレーヌは離れた地で生活をしていたらしく、電話でカトリーヌの存在を感じ取り、急いで屋敷に戻ってくる。誓いをたてたのになんでエレーヌは死なずにのうのうと生きてんの?っていう疑問がわいてくるけれど、このことについては相当な罪悪感と恋人の死を受け入れられない気持ちを抱いていることが伝わってくる。その感情の裏返しから、エレーヌは生き返ったカトリーヌに異常なほど執着し始める。

当時主流なロメロ的モダンゾンビとは一線を画し、吸血鬼のような「ゾンビ」を描くのは流石のジャンローラン。本作の2年前に監督した『ナチスゾンビ』では、吸血要素はありつつも、まだゾンビとしての外見を保っていたけれど、本作のゾンビは美しく官能的で儚い存在。その「儚さの美」が退廃的なロケーションのもと刹那的に開花し散っていくまでを描写する本作は、本来の監督の持ち味を存分に出し切っているように感じた。

カトリーヌに自身の腕を差し出し吸血させるエレーヌの恍惚とした表情は生前から続く2人の性的な関係性を暗示させ、カトリーヌの餓えを満たすために町へ出て獲物を探すエレーヌには、必ず訪れるだろう終局を予感させられる。それを裏付けるように、彼女たちの行動は写真家の注意を引いてしまい付け狙われることになる。この2本の軸で進んでいく物語の交差点が終焉となるだろう「終わり」を前提としたストーリーに物悲しさが終始漂っている。

ただ、面白いのは、外的要因ではなく内的要因により2人の関係性が破綻へと向かっていくところ。カトリーヌは、血を得ることで徐々に人間らしさと記憶を取り戻していき、自身の抑えられない吸血衝動と他人の命を奪う罪悪感で揺れ動く。一方のエレーヌは誓いを破ったことによる執着から、カトリーヌを本人の意思とは無関係に生へと縛り付けようとする。本来的には、死→生へと舞い戻ったカトリーヌが生に執着する存在であるはずなのに、物語が進むにつれて死と生が逆転していくのが監督の過去作『The Iron Rose』のよう。

崩壊を運んでくるだろう写真家も実はそれほどの役割を果たすことなく、「外野は黙っとれ!」な感じで、2人だけの世界という外界から隔絶された神聖を纏った空間の中で、内的な関係性のみに焦点を当てた「終焉」へと運ぶ物語は切なかった。工場から出た産業廃棄物という文明によって、人知れず蹂躙される「神聖」に視線を向ける監督のらしさは大好きだし、文明との距離感を常に意識した舞台構築も素晴らしい。何度か挿入されるどこまでも引いていくカメラが、誰にも知られず闇に埋没していく彼女たちという、忘れ去られゆく「神聖」の儚さを突きつけてくる。流石の傑作!VHSで見たことを後悔。これは海外版Blu-ray買って見るべきだった。

ロメロ以降のモダンゾンビの原点のひとつ『吸血ゾンビ』を見直したので、本作で10作目です。
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