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NOCEBO/ノセボのhorahukiのレビュー・感想・評価

NOCEBO/ノセボ(2022年製作の映画)
3.7
記録です。

『ビバリウム』監督の新作ホラー。子供服デザイナーの主人公は、マーケティングストラテジストの夫、幼い娘と3人家族。ある日ダニだらけな犬の幻覚を見てから記憶障害と精神の不調に悩まされる。そこに頼んだ覚えがないフィリピン人家政婦がやって来て雇うことになるが、彼女の「施術」により何故か不調が改善していく…。いったい彼女は何者なのか?

フィリピン移民(?)のハウスキーパー設定が最近見た『Raging Grace』と重なるし、植民地主義的な傲慢さを主要な批判対象として設定し、エッセンシャルワーカー側を「人間」として実感させてどちらがパラサイトかを突きつける展開も近い。

『反撥』系統のサイコティックウーマン系かと思って途中まで見ていたけれど、より社会的な時代性を本論として持ってきたストレートな作風だった。ただ、そこで終わらせないのが流石のフィネガン監督で、親から荷物だと突きつけられ孤立感を味わう子どもを冒頭の両親の会話で実感させ、その後の職場シーンと合わせて子どもと接する仕事でありながらその視線の先にあるのは子どもではなく財布を握る大人であると意識させる演出をしている。それは新聞記事とその撮影風景へと繋がることで明らかとなっていく。

親としての在り方は中盤の編集で対比させるようになっていて、両者共に割を食っているのは子どもだと言う点も『Raging Grace』を思い出してしまう。本作の罪悪感はそれに大きく起因しているように思えるし、主人公が鏡を直視した後の行動や序盤の歌の歌詞にもそれが表れているように思う。

その罪悪感は本来目指して来た自己像とはかけ離れている現在の自分に投げられたもの。仕事でも親としてでも、初心として抱いていたはずの理念がいつの間にか形骸化し一人歩きする資本主義的価値観に自己が引きずられていく心的なズレ(社会による心的托卵)は『ビバリウム』からそのまま継承されている。それを消費者でなく生産者側に移して描いたのが本作と言えるのではないかと思う。そしてそれとは異なるもう一つの托卵を本作ではやりつつも、今回は文化的・精神的アイデンティティを敷衍させる意図を感じるし、それを侵略とするのかポジティブな伝播とするのかは担い手に対して投げられているのだろうと思う。どっちにもなると作中でも何度か念押しされていたし。

コメント等スルーしてください🙏
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