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ぼっちゃんのkuuのレビュー・感想・評価

ぼっちゃん(2012年製作の映画)
3.5
『ぼっちゃん』
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。。。あ!こりゃ🙇‍♂️夏目漱石の小説『坊ちゃん』の出だしやった。
※(映画は夏目さんの話はなしとは全く関係nothingです🙇‍♂️)※
改めて、おはなしは、秋葉原のホコ天国に車で突っ込み(^_^;)\(・_・) オイオイ兄ちゃん😡⚡『どこに車で入ってきとんねん!!』って突っ込み入れる前に、車から降りてナイフで何人も切り付けよった通り魔殺傷事件。
以前社会を震撼させた。
7人が死亡、10人が負傷(重軽傷)マスコミとか一般的には秋葉原無差別殺傷事件って呼ぶことのほうが多いんちゃうかな。
この実在の人物をモデルにした、社会派の映画です。
ヤバくてかなり深刻なお話かと!!思ったけど、クソ・コミカルな部分が多勢が無勢を占めとって、予想外⏬かな。
って云うんも、予想は非正規雇用が生み出す弊害に対して、社会への恨みつらみ、怨念と鬱屈から、無差別殺人に到った主人公の心のダークな部分てのを、シリアスに描いて、そこに一つの整合性てのが見られるんちゃうかなぁと思てたし、それならバリバリ味わいと、風味のある作品になったんやろなぁと思てた。
中村獅童似(どうせなら獅童だせよ!ヤバい獅童を)の乱暴なサブキャラが終始出てきよったけど、このキャラは不要や。
無差別殺人鬼を生む過程において、何ら関係があるんかと首を傾げてまう。笑えるシーンもあったけど、この題材の映画に、そんな笑いは期待してへんし、亡くなった方達の事考え作ったんかなぁと。
コメディなシーンのせいで、秋葉原のホコ天国に突っ込む前の息の詰まる時間は、全然真実味があらへん。
まぁ無差別殺人ちゅうヤバくて狂った犯罪を犯しよった人間にも、ユーモラスな部分が備わっとって、普通の人間とそれほど変わらへんのやと云うこと主張したかったんかもしれんが、やはり秋葉原無差別殺傷事件を描くんやったら、ドキュメンタリータッチでシリアスに描くのが自然やったんちゃうかな、ある意味、描き方次第じゃ傑作になったんちゃうかなぁと思う。
人間は利己的か、と問うたら、答えはヤッパyap!!(yes)
せや、人間は利他的か、と問うても、答えはyap
利己的でもあって利他的やっても矛盾した生命が群れ生活を営む動物。
人間もその一つ同時に、この矛盾を意識化でける。
せやからこそ人は悩むんやろう。
人の利他的行為を、すべて偽善とみなす人間不信者(人間嫌い)すら人を愛する心を少しでももっているなら、この人間観(利他性=偽善)の誤りを理解することがでける。せやけど、もしこの人間観をもってる人が、人を愛する心をマジに微塵も持ってへんのなら、このヤロウは人間不信者ではなく天涯孤独な寂しいヤロウで、生きていくことはでけへん。
苦しみもがく人を前にしても、その痛みを感じることがでけへんヤロウは滅多にいいひんから、天涯孤独な奴も(居ることはいるやろうけど)滅多にいいひん。
天涯孤独な奴は(外的抑制がない限り)誰に対しても残虐行為をはたらくことができる奴やなければならへん。人間不信者は、愛して欲しい人に偽善的行為を受ける経験を繰り返していよるうちに、ホンマに愛してくれている人の存在さえ見えなくなってしまったヤロウや。
人間不信者が、本当に人間=絶対的偽善者と信じているんなら、この人間不信者には、内的な道徳律が一切存在しないことになる(内的道徳律は、人間を愛すると心からしか生まれへんから)。つまり、彼の行動を規制するのは社会的抑制だけであり、したがって、彼は絶対的な服従を強いられていることになる。
したがってまた、彼の自由は絶対的に抑圧されとるし、芥川の言葉で言えば、絶対的な無責任者(理想的兵卒)ということにもなる。彼の抱える悩みは、すべて自発的欲望と外的抑制との闘いやし、自由意志は完全に抑圧されとる。世の中が物騒になればなるほど(もう十分すぎるほど物騒やけど)、人間=絶対的偽善者観を抱くヤロウ、人間不信者が増えてくるのは明らかな。。。
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