せーじ

劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。のせーじのレビュー・感想・評価

3.5
207本目。そういえば観てなかったことを思い出し、レンタルした作品。
アニメシリーズも観たことがなく、タイトルと舞台と登場人物の何人か名前を知っている程度。
(なお鑑賞後にネットでアニメシリーズの物語の流れを補完しました)

「少年期の人間関係のもつれによる過ちを償い、清算して、失われていた絆を取り戻していく」お話という意味では「聲の形」などと似ていると思うのだが、「ヒロインが霊的な存在として主人公の前に現れる」というファンタジックな要素があるというのが、この作品の大きなポイントであるというのは間違いが無いところだろう。秩父市という自然が豊かな実在する街並がリアルに描かれる中で、ヒロイン自身と主人公をはじめとする五人の男女の関係が、それぞれでもつれ、絡み合い、絶妙なバランスで丁寧に描かれていくという舞台立ての部分はとてもよく出来ており、面白く観ることが出来た。

しかし、何故だろう…。終盤に差し掛かるにしたがって、どんどん作品に対する気持ちが離れていってしまった。まるで興味の湧かない他人の思い出話を延々と聞かされているような、そんな気持ちになってしまったのだ。
そう思ってしまった理由を考えてみる。

まず、「ヒロインは主人公としかコミュニケーションが取れない」という"物語内ルール"を、物語の途中で割と簡単に破ってしまったから、だろうか。
この手の作品で「主人公にしか見えない=それは主人公の幻想だった」というダブルミーニングを持たせる物語の構造は割と王道なプロットだと思うのだが、その"ルール"を最後までキープさせずに、ある時点を境に主人公以外にもヒロインとのコミュニケーションを共有させてしまったのだ。これは悪手だったと思う。例えば「ヒロインと本人しか知らない物事を主人公に言わせる」とか「過去の記録を紐解いていくと新たな事実が判明する」など、劇中の展開だけでそうせずに物語を展開させていくことはいくらでも出来たはずなのに、非常に勿体ない。
また、アニメシリーズを総括している都合上そうせざるを得ないという理由もあるのだろうが、時系列が三段階に分かれていて、しかも「高1の夏」と「高2の夏」という近い時系列を意図的にシャッフルしており、それがとてもわかりにくかった。クライマックスに繋げる為だというのはわかるのだが、季節を変えたり年代を離したりだとかで、もう少し物語全体を分かり易くする工夫は出来たのではないだろうか。
そして―たぶん自分の気持ちとしてはこれが一番大きいのだろうが、クライマックスの「大号泣大会」が過剰すぎてノレなかった。イイ話だと言うのはわかるし、実際自分も「Secret bace」が流れた瞬間はちょっとヤバかったのだけれども…これも、もっと他にやりようがあったのではないだろうかと思ってしまう。

他にも「ヒロインを失うくだりをきちんと描いていない」ところや「六人の関係性だけにフォーカスされていて、物語全体が内向きに向かっている」ところが不満だったりと、登場人物の心理描写が丁寧なだけに不満を言いたくなる部分が少なくない作品だったのは残念でした。

めんまちゃんは可愛らしいんですけどね…
そしてパチンコやパチスロにこのコンテンツを採用した担当者には、小一時間説教をしたいと思っています。
せーじ

せーじ