このレビューはネタバレを含みます
デブちん母ちゃんの喘ぎ声で笑っちまうおはなし。
いつもの如く、序盤から怒涛の展開で興奮をした。これだこれだ、これを観たかったんだと云う思い。
ただ、今までの僕のホドロフスキー観…と言うと大袈裟だけれど、とにかく大きく覆されたものもあった。言い換えれば、『ホーリー・マウンテン』や『エル・トポ』を観た際には感じえなかった事を感じることができた。
まずは、崇拝するスターリンと憎き独裁政権、そうして己れの内に、なんと同一の物が認められるという悲劇。老人ホドロフスキーの少年ホドロフスキーへの語りかけが、安らかで落ち着く反面、お父ちゃんホドロフスキーには非常な苦しさが描かれていた。
また『エル・トポ』にも見られた、父と息子の関係性。ホドロフスキーに取って、相当大きなものであった事がいよいよ窺われる。
そうして仕舞いには、魂の救済があった。無論それは転生と併せてホドロフスキー作品の定番と云えるのかも知れない。しかし本作に於いては随分と僕の心に働いてくる。ホドロフスキー…なんて優しい人なんだ、ホドロフスキー…なんて繊細な人なんだ、そう云う思いに駆られてしまった。
謂わゆるノンフィクションをフィクションと区別する向きは、あまり好きではない。作品として出来上がっている以上、演出はあるはずだ。作品は作品だ。
しかしながら本作を観ると、僕のその考えさえもがナンセンスであるように思えた。
「リアリティのダンス。」
なるほど、リアリティが踊っている。
奇妙でありながらごく普遍的。まさか彼の映画で共感できるとは思わなかった。己れの偏見を恥じるばかりである。