ーcoyolyー

六月の蛇のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

六月の蛇(2002年製作の映画)
3.4
http://filmers.jp/articles/2017/01/13/post_123/

――あのスコセッシ監督の映画にご出演されるとはうらやましい限りです!
みなさんに言われます(笑)。お会いしたのは最初のオーディションの時で、その時も、僕が来ることをスコセッシ監督は知らなくて、「塚本晋也」って同姓同名の違う人かと思ったって。

――ということは、塚本監督のことは既にご存知だったのですね。
僕の映画を見てくださったんですかと聞くと「『鉄男』と『六月の蛇』が好きだよ」って言ってくれたので、そこから気持ちも打ち解けて、オーディションもすごく楽な気持ちでできましたね。そういう風に終始、俳優がやりやすいようにしてくれていました。

・・・
上記のエピソードで印象に残っていてどんな映画なんだろう?と気になっていた「六月の蛇」なんですが、蓋を開けてみたらものすごいド変態映画だったよ笑

「沈黙サイレンス」の俳優オーディションに行ってこんな映画撮った人とこんな映画を好きだという世界の巨匠が顔合わせて意気投合するとか、ド変態エロ本を片手にして、そしてもう一方の手には聖書を握っているわけですよ。ものすごく人間臭くていい話の深度だいぶ掘り下げた感ある。

他のところでスコセッシは黒沢あすかも褒めてて、でもこんな映画だよ?「沈黙サイレンス」の現場に呼んで絶対視姦してますよあの爺さん!黒沢あすかのあの配役とか恐らくちゃんとここの文脈押さえてあったんだな、とか分かると聖と俗、清濁併せ呑むスコセッシの本領発揮してたんだなと背筋がゾワっとする。作品としては聖の時はとことん聖、俗の時はとことん俗を突き詰める印象ですけど、その映画撮ってる時の現場にはやっぱり両方あるんだなって。

あの2人の変態紳士会談、共に変態っぷりを実生活に持ち込まず映画の中でのみ業を解放して昇華させてるから、それは正しい芸術家の在り方だと私は思う。大江健三郎然り、その矜恃を忘れない人は尊敬できる。ド変態だけど。ド変態が現実を生きるために折り合いをつける手段としてある芸術。芸術のそういう側面は限りなく優しい。だから私は芸術に甘えられるし安らぎを覚える。芸術だけに心を開ける。そういう作品は自分の好き嫌いを超えて世の中に存在していて、存在を許されていることをよかったなと思うし、何よりも安堵する。自分も存在を赦される心持ちになる。こういうものが排除されないからこそ芸術なので、例えばあいちトリエンナーレのように快不快や好き嫌いで排除しようとする勢力に賛成反対以前に意味が分からなくなるのです。だって芸術ってそんなもんだし。
ーcoyolyー

ーcoyolyー