晴れない空の降らない雨

ウォルト・ディズニーの約束の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

3.4
 『メリー・ポピンズ』シリーズの著者パメラ・トラヴァースが、映画版のシナリオにダメ出ししながら、自分の過去としだいに向き合っていく、という話。
 どれくらい実話か分からないが、内容はほとんどセラピーだった。いちいち説明するのも野暮だが、例えば「バンクス夫人は女性参政権運動なんてやらない、ただの専業主婦」といった風に、映画版の設定にトラヴァースは断固たる拒絶を示していく。同時に、それが合理的根拠に基づかないことも示される。そうして言語化されたことで記憶がフラッシュバックしていき、バンクス一家の設定へのこだわりが自分の両親に由来することが示される。映画の序盤でトラヴァースは、メリー・ポピンズやバンクス一家は私の家族だと言うが、これは半ば言葉どおりの意味であり、部分的には幼少期の記憶に由来していたのだ。
 ホテルからスタジオへ、またホテルへ、というトラヴァースの一日を映画は反復する。この単調な反復のなかで記憶の想起が活発化し、そのうち一種の幼児退行が起こる(ぬいぐるみ、草いじりなど)。彼女の態度は変容していく。そして最後は、ほとんどセラピストの役割を演じるウォルトとの対話によって、自己の内面の真実を受け入れる(なお、ここでウォルトは「自己開示」という技法を用いている)。
 呼ばれ方へのこだわり(名字か名前か)、父親への態度(崇拝か両価的か)をめぐるトラヴァースとウォルトの対比の示し方が、これ見よがしでなく、ラストの説得(セラピー)で「あぁそういえば」と気づかされる程度の示唆になっていて良かった。
 
 本作をみると、公開中の『リターンズ』よりも元祖の歌のほうがやっぱ良いなぁとしみじみ思った。ちなみに本作のロバート・シャーマンは空気読めない奴に描かれているけど、実際のところ彼は少し変わり者なんだと思う。『王様の剣』か『ジャングルブック』の特典映像で兄弟そろって登場したときも、彼の喋り方は何だかおかしかった。
 セリフや画面に『メリー・ポピンズ』に登場する要素が散りばめられているし、劇中歌の制作風景やストーリーボードを使った会議なんかが再現されているし、またミッキーたちのぬいぐるみの顔が今と違ったりと細やかだし、『メリー・ポピンズ』やディズニー映画のファンなら眺めているだけで結構楽しめる。
 あるいは幼少期のシーンにしても、とても20世紀とは思えぬような(まぁオーストラリアの田舎だけど)、西部劇色が誇張された景色や町、家屋がなかなか見応えあった。