せーじ

大統領の執事の涙のせーじのレビュー・感想・評価

大統領の執事の涙(2013年製作の映画)
4.5
■はじめに
ここまでの数作のレビューで書いたように、映画評論家の町山智浩さんが『フォレスト・ガンプ』について解説をされたネット動画(いわゆる"町山解説")と、著書である『最も危険なアメリカ映画』を読んで、関連するロバート・ゼメキス監督の作品と本作を観たいな、Markしたいなと思ったのが300本目を本作にしようと思ったきっかけでした。選んだ理由としては他にも、『フォレスト・ガンプ』が未見で、かつ『バックトゥザフューチャー』シリーズをきちんとMarkしていなかったからだというのもあるのですが、"町山解説"などがあぶり出そうとしている「問題」が、今のこの国やこの国だけでない「世界」が内包しているものにも通ずるのではないか、と思ったのですよね。もちろん自分の知識量と文章能力では、歴史的事実についてはいっちょ噛みであることを隠せないので、とても稚拙な内容になってしまうことは避けられないですが、今後も「映画は世界を知ることが出来る窓」であることを標榜しながらMarkし続けていくのであれば、向き合わなければいけない題材なのではないかなと思ったのです。

ということで、300本目はこの作品をレビューしたいと思います。

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■生きる為に従順であり続ける主人公と、それに抗う長男
この作品も、作品を通して何が強く印象に残ったかというと、主人公の「従順さ」であることは間違いなかったと思います。ただし『フォレスト・ガンプ』の主人公が見せた「従順さ」とは意味合いが全く異なるのですよね。
本作の主人公が見せる「従順さ」は、冒頭ですべてを失った主人公が、その後を生き抜くために文字通り死ぬ気で身につけた「術(すべ)」であり、彼の大切な存在を守るための「力」であると言えると思うのです。執事としての職務そのものが彼自身の生活をつくり、彼の家族を養い続けている「力」であったのだとして、この作品はそのきっかけの部分から明確に、そして克明にその様子を描いています。
しかし、そのような形で育てられてきた彼の長男が、成長するとどうなっていくかというと…それをまるで妨害をするかのように「抗いはじめる」訳です。このような、父と子の一種の張りつめた対立関係が、作品全体を通して効果的に張り巡らされているので、ドラマツルギーとしてとてもヒヤヒヤできるようになっています。たとえ息子に罵られても、自分自身と、長男も含めた自分たち家族を守るために「従順」であり続けようとする主人公の姿を見ていて、自分は本当に胸が痛かったです。もちろんそこにはガンプのようなふわふわと思考停止するような心の動きは無く、常に主人公は目の前にある「職務」を、もっといえば「生きること」について、思考を張り巡らさなければならなかっただろうということが容易に想像できるようになっています。「銃口」が常に主人公の方に向いているような緊張感と切迫感があるように思えたのですよね。
それだけでも物語としては相当凄まじいのですが、自分が凄いなと思ったのは、対立軸となる主人公の長男の「抗い」もまた、長男自身が「人として生きる為」に必要なことだったのだと描いているということでした。血のつながった家族なのに、同じ目的の為に対立をしあわなければならないという事実を、見なかったことにしないで描こうとしているこの作品は、本当にリアルで誠実だと思いました。

■本作で描かれている歴史的事実について
監督自身が「フォレスト・ガンプの反論として作った」と表明しているように、本作では『フォレスト・ガンプ』が描いてこなかった歴史的事実が序盤から克明に描かれています。個人的に驚いたのは、カフェでの座り込みとKKKによるバス襲撃、ですかね。どちらも公民権運動の最中で起こった出来事として本作では取り入れられていますが、その内容はとても衝撃的でえげつなかったです。そりゃ、非暴力を貫くにはそういう「訓練」が必要であるというのは、ちょっと考えればわかることですけどね。。。また、長男たちによるカフェの座り込みのくだりは、主人公が職務として挑むホワイトハウスでの華やかな晩餐会との対比として描かれていて、違う意味で、しかし同じように「感情を押し殺している」"主人公を含めた執事たち"と"長男を含めた学生たち"の姿が描き分けられており、映画的な演出としても意味合いを味わうという点でも素晴らしかったです。
もちろん、六世代にも及ぶ大統領の姿はそれぞれ個性的で興味深かったですし、作品全体の細かい部分にまで「知っている人には一目瞭然だろうけど、どういうものなのかわからないよなぁ。。。ああ、隅々まで知りたい!」と思うような時代的な要素が目白押しになっているなと感じました。物事を知る取っ掛かりとなる要素が、作品全体に効果的に散りばめられていると思います。

■地道な積み重ねと視点の変化の果てにあった「達成」
作品を通して対立し続けてきた主人公と長男ですが、様々な苦難を経て二人の関係性は最終的にある結論に達することになります。その描き方がとても丁寧に積み重ねられていて、素晴らしかったです。
ネタバレにならないように書いていくと、両者がその結論に達したきっかけは「視点の変化」がそれぞれに起こったからだと明示しているのですよね。長男は"尊敬する人物"から「父親の仕事についての価値」を教えられ、それをきっかけに暴力的な活動とは袂を分かちました。そこから彼は、より問題の内面から社会的な変革を起こそうと社会の中で具体的にアプローチしていきます。一方主人公は、ある時"職場で仕えている人物"から「招待」を受けることになる訳ですが、その場で初めて「給仕される側」に回ることが出来たことで、大きな視点の変化を体験することになります。でもそれってつまりは「主人公の日頃の仕事が認められたから」こそ、体験できたことなのですよね。つまり主人公の生き方も長男の生き方も物語として否定しない、地味で地道な積み重ねの果てにこういった達成があったのだと描いているのです。主人公はそこから堰を切るように長男のことを知っていき、同時に自分自身の過去を見つめ直し、その果てにひとつの「決断」をしていくという展開も含めて、プロットとしてとても見事だったなと思います。

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ということで『フォレスト・ガンプ』と一緒に観ると、その当時の"かの国"の様子が立体的に見えて、そんな中『フォレスト・ガンプ』が何を描かなかったのかということがよくわかり、とても勉強になりました。
そして「視点の切り替えと共有」や「見ないことにしてきたものとの対峙」が、物事の変革や人々の融和にとって、とても重要であると思い知りましたね。映画としてはちょっと駆け足気味で、もう少し尺があっても良かったのではないかなと思わなくもなかったですが、近現代史や人種差別を学ぶ入り口としてはとても良い作品なのではないかなと思います。

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ということで、Markを300本達成することが出来ました。
これもひとえにいいねとコメントをくださる皆様のおかげです。
これからも「映画は世界を知ることが出来る窓」であるということを掲げながら、時に楽しく、時に真面目にMarkしていきたいと思います。
よろしくお願いします!
せーじ

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