ーcoyolyー

卍 まんじのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

卍 まんじ(1964年製作の映画)
3.6
ヤベェメンヘラボダ子だぁ……って展開がヒートアップすればするほど頭の芯が醒めてしまってどうしようもなかったです。私がボダに絡まれて酷い目に遭ったことがなければ楽しめたのかも知れないんだけど……

谷崎の文体の中に存在するこういう女性って寂しさをこうやって漂わせないでただ無邪気に幼くて、彼女の振るう暴力は幼子が本能的に帯びる暴力性として描かれているように思うので、微細な解釈違いが大きな齟齬を生むというか、谷崎は細心の注意を払って今だとメンヘラと揶揄されるような行いはさせないように気をつけてたんだなと気付いた。そこら辺の匙加減本当難しくて余程気をつけないとこういう陳腐なメンヘラ女として描写されてしまうんだと思う。

増村保造はメンヘラ女で満足するんだろうけど谷崎潤一郎は満足できない。変態度の純度がより高い。大谷崎はメンヘラ女の陳腐な物語なんかお呼びじゃないんですよ。メンヘラじゃないこういう女なんて砂漠で砂金を見つけるようなものなんで難儀な人だな、そういうところ好きだな、と増村保造を足蹴にしながら思ってます。谷崎は他の日本の陰キャ的な物書きと違って堂々とストロングスタイルで変態を生きてますからね。そういう強さが好きです。私が日本の近現代文学の担い手で女の描写が耐え難いと思うことのない男性筆者は坂口安吾と大江健三郎と谷崎潤一郎の三人くらいだと思う。前二人は自分の想像の限界から向こうには足を踏み入れないようにしようと心掛ける品があるんだけど、谷崎はさ、ドリーム炸裂しててもウジウジしてないから清々しいのよ。清々しいからまあ良いか、と思える。そういう点ではノーベル文学賞により相応しいのは川端よりやはり谷崎だったと思うわ、寿命だけが惜しかった。
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