Anima48

アマデウスのAnima48のレビュー・感想・評価

アマデウス(1984年製作の映画)
4.3
運動神経やセンスとかでどうしても敵わない相手との差に出会うと、理不尽さ・絶望感で身動きがとれなくなることってあるたまにある。相手を越えないと次に進めないと思い込んでしまうとか、努力で追いつけない不甲斐なさから自己嫌悪したりとか。もしも自分が自分であるために必要な分野なら諦める訳にも行かないし。

サリエリの煮詰まり具合や苦しさが切なくて、哀しくて。ちょっと自分をみているようだった。

さらに酷いことに天才の才能を愛せるセンスを持っている。モーツァルトの楽曲の素晴らしさを語るサリエリの表情の少し恍惚というのだろうか?そういう表情が素敵だった。でもモーツァルトの保護者や愛する人達は彼の才能や作品の価値をきちんと理解できてはいない。そして彼女達はモーツァルトを守る為に下品な手までも使ってしまう。この時点ではサリエリの冷たい目線は意味もわからずモーツァルトの周囲を右往左往する大衆にも向けられていたような気もする。

それ以上に悲劇なのは純粋に共同作業を楽しめてしまう。もっとも憎らしい相手を愛してしまうというのはなんて残酷なんだろう。そして”いい人だったんだ、ありがとう!”と感謝までされる。あの場面には、嫉妬、愛、感謝、連帯、裏切り…全ての感情があった。

終盤は才能を与えてくれなかった神への想いの届かなさが、モーツァルトへの嫉妬心をも上回っていたように見えた。全てを捧げた神は、自分に優れた才能を与えてくれた筈なのに、何故罰当たりで下劣な男に最高の才能を与えたのだろう?凡人の罪を赦そうっていう台詞がすごく心に残る。

そんなサリエリは、モーツァルトの死後も生き続け、晩年に正気を無くしたかのようになっている。その時間の流れの中でもモーツァルトの作った曲たちはたくさんの人達に聴かれ、演奏され、何よりも愛されている。反対にサリエリの曲はあまり知名度がなくて、現在に至っては知る人もあまりいない。宮廷の筆頭音楽家の彼がモーツァルトの曲と自分の曲が辿る運命を晩年まで眺め続けていたとしたら、罰を受け続けているようなもので、蒙昧なあの境地は漸く辿り着いた小康状態なのかも知れない、それでもあの笑い声は彼を逝かしてはくれない。

才能がある人への嫉妬や崇拝って本当に罪なのかも知れない。…本当に赦してほしい。
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