#沈黙サイレンス
遠藤周作原作小説をスコセッシ監督が映画化。『最後の決闘裁判』公開タイミングを機にアダムドライバー出演作マラソン中に観賞。
公開年ぶりに観ましたが、改めて日本人俳優含め、役者陣の演技がとても良い。
ハリウッド映画というと、どこかおかしなトンデモジャパンのイメージがあるけれど、本作は日本人の目から見てもまったく違和感のない日本の時代劇に仕上がっているのが本当にすごいです。
ちなみにロケ地は台湾。17世紀の長崎を再現できる最適な地が台湾だったとのこと。出来上がった映像を見て納得の選択です。
<以下、微ネタバレあり感想>
■ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)
2代目ピーター・パーカーが演じる主人公ロドリゴ。
髭をたくわえ和装のアンドリュー、本作にスターウォーズ俳優が複数出演していることもあって、彼がオビワンケノービに見えて仕方なかったのは自分だけだろうか。
■ガルペ神父(アダム・ドライバー)
カイロレン時の半分くらいに身体を絞って出演したアダムドライバーが、転向の誘惑に逆らう神父を演じる。
ちょっと青臭い感じがとてもよいが出番は意外と少なめ。浜辺のシーンの衝撃たるや
■キチジロー(窪塚洋介)
いともたやすく魂を売る、情けなくもやりきれない男を好演。彼は本作におけるユダである。
あっさりと役人に屈して足早に走り去る仕草の小者感が秀逸だが、不思議と彼を見ていて怒りがわいてこないのは、彼の信仰に対する純粋さも垣間見える故か。
キチジローに裏切られ続けるロドリゴは、汝の隣人を愛せよ、自分の敵を愛せよというキリストの教えを試されているかのよう。
彼の存在がロドリゴの葛藤を加速させ、混乱と不信と苦悩のドラマを生み出している。
弾圧を受けるたびにあっさりと踏み絵に応じる彼を見て、ロドリゴも観客も、この男には真摯な信仰心などかけらもないと思うかもしれない。
しかし、ラスト間際でキチジローの胸元から聖画が発見され彼は処刑される。
幕府の形式的な棄教行為に何度応じたとしても、彼は最期までロドリゴの元を離れず、神に手を合わせ続けたのだという事実が明かされる。
命がなければ信仰も続けられない。キチジローの人生もまた、信仰の一つの形である。
彼を蔑視軽視していたロドリゴや我々観客の視点は、ある種傲慢であったことが突き付けられるのだ。
人間の本質は一面から把握することは難しい。そう教えてくれるキチジローという人物を演じきった窪塚洋介が、個人的本作のMVP。
■井上筑後守(イッセー尾形)
LA映画批評家協会賞にて、助演男優賞にノミネートされる好演を見せた。
井上という男は役割的には悪役だが、当時の時代背景/欧米の帝国主義/キリスト教の政治的役割/などを総合して考えると、現代的価値感だけで彼を単純な悪役と断じることはできない。
信仰者からすると恐ろしい弾圧者であるが、彼には彼の目的とロジックがあり、決して理解不能な怪物ではない。
冷酷さの中にも知性/洞察力/交渉力etc、様々な能力を兼ね備えた彼が悪役だからこそフェレイラの転向にも一定の納得感があり、ドラマに深みを生んでいる。
「ステップ、オンユア、ジーザス」
淡々と発する彼の日本人英語が恐ろしい。
■通辞(浅野忠信)
一見すると理解があり理性的な人物にも見えるが、彼もまた信仰者たちにとっては決して相容れない存在である。
井上とは逆に、ロドリゴに好意を持っているとすら思える通辞。
しかし彼は一見話が通じそうで、その実、井上以上にコントロール不可能な役人でもある。ロドリゴが転ぶまで、彼が職務を放棄することはありえないのだ。
この微妙な人物表現を見事に演じて見せた浅野氏が、海外の映画監督にたびたび起用されるのは納得。
■フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)
フェレイラ神父(転向後の日本名:沢野忠庵)は、棄教して幕府のキリシタン弾圧に協力した実在の人物である。
我らがジェダイマスター:クワイ=ガン・ジンことリーアム・ニーソンが、弾圧に屈し転向したこの神父を演じた。
自身の転向をロドリゴに語るシーンの目の泳ぎ方演技が秀逸。
狙ったわけではないのだろうが、オビワンケノービそっくりなビジュアルのロドリゴ神父の師がリーアムで、
暗黒面の力に屈して堕ちてしまうという役どころはスターウォーズファンからするとこれ以上ないほどに面白い配役である。
クワイガンはオビワンに「未来ばかりに目を向けず、リビングフォースに耳をすませ」と教えた。
棄教すれば目の前の命を救える、とロドリゴに対して現実的な決断を迫ったフェレイラの考えは、クワイガンと同じようにも聞こえてしまう。
■ヴァリアーノ院長(キアラン・ハインズ)
冒頭にちょっとだけ登場する院長。初見時まったく気が付かなかったけれど、ゲームオブスローンズのマンスレイダーの人だった。
■その他
・塚本晋也:海岸のシーンは序盤の物語を引き締めた
・片桐はいり:インパクトがすごい
・小松菜奈:小汚くてもかわいい
・高山善廣:出てくると知らないで見た初見時、登場即爆笑
【パンフレット】667円+税
一般的なパンフレットより小さいA5サイズで値段も安め。
スコセッシ監督および、出演した日本人俳優たちのインタビューがかなり充実しています。
なかでも窪塚さんのインタビューは必読もので、オーディション時の面白いエピソードや、今回の役に際しての彼の考えなど興味深い内容。
【スコア】
★4.0で。
思想良心の自由。現代では憲法19条でも保障される絶対不可侵の権利です。
本作で繰り返される踏み絵のような棄教強制は絶対に許されざる人権侵害だけれども、しかしそれではロドリゴら神父側が絶対の善なのかというと、物事はそう単純ではないわけです。
宗教を自由に布教し、望む人がそれを信仰する。
ミクロな視点で見ると、絶対的に保護されるべき人の権利ですが、少し視点を広げて17世紀のこの時代を見てみると、話が少し変わってきます。
アジアアフリカを植民地として拡大する西欧列強の帝国主義。
現地の混乱と、人民の体制への不安不信がなければ軍事侵攻は成功しがたい。
そこで西欧諸国はまず宣教師を送りこみ、宗教を通して西欧的な価値観/社会の基盤を築き、その後に軍隊がやってきて、植民地化されてしまうという流れがあるわけです。
そういったマクロな視点から見ると、本人たちにその意識はなくとも、ロドリゴら神父たちは日本国から見ると軍事侵攻の端緒でもある。
万物に神が宿るという日本的「神」の概念と、キリスト教の一神教の概念は簡単に相容れるものではなく、実際本作の劇中でも、十字架や数珠などの「物」を崇める信徒たちの姿に対してロドリゴは違和感をおぼえています。
ロドリゴやフェレイラは「根が腐っている」という表現を用いましたが、
まったく価値観が異なる異国に外からやってきて、自分たちの神の概念が、思うような形で根付かないことを「腐っている」と表現することは傲慢でもあるのです。
処刑や踏み絵などの手段に問題はあれど、江戸幕府が切支丹を警戒することには合理的な理由と目的があり、
大きな目で見れば、ロドリゴらの求める信仰に日本人を染めていくことが善とは言い切れない。
キリストの絵を踏まない/踏めない、仲間に踏むなと求め信仰に殉じることで命を落としていく人がいる。
ロドリゴは「神よなぜ沈黙しているのですか!」と叫ぶが、神は沈黙していても常にすべてを見ています。
絵を踏まないことが信仰なのか。絵を踏んだ人間はもはや信徒ではないのか。命を守るため、家族が処刑されないために絵を踏む行為、家族への愛を神は許すのか。神はただ、それらも黙って見ています。
絵を踏まずに死んだモキチ。
屈するなと抵抗し死んだガルペ。
何度も絵を踏んだが何十年も死の間際まで信仰を続けたキチジロー。
絵を踏んで棄教し、日本名を得て、仏教徒として火葬されたが最後まで十字架を手にしていたロドリゴ。
殉教者が善で棄教者が悪、信仰とはそんな単純なものではなく、
それらすべての人間を、沈黙しながらも神は常に見ているのですね。